バッグ中毒

 もうやめよう・・・と決意したのですが、ボロ布を見ているとついミシンを踏みたくなって、またバッグを縫ってしまった。中毒気味ですが、夜のテレビ番組がつまんないせいもある。
 最近の練馬は蒸し蒸ししてるし、夕飯を終えてからトランプゲームを数回やって、勝ったご褒美に涼しい場所に置かれたミシンを踏む。
 2010年の頂き物のカレンダーでつくったバッグは、柄合わせをちょっと工夫しただけで、ごくフツーのバッグです。外側の脇に端布で小さなポケットを付けたのが工夫です。
 水色のバッグは、オソージガカリさんからのお下がりのジーンズのスネ下です。片足分は尻の穴の補正にし、残っていたもう片方のスネ下を分解してバッグにしました。刺繍は、1990年のカトマンズでオーダーしたバッグがボロになってしまって、ここだけ取り置いたのを貼り付けました。これはまだ製作途中で、外側のポケットの表面や縫い代部分にステッチを加えて行く予定です。
 インナーバッグのつもりでしたが、お披露目したくなって、下げる部分を付け足した。この紐は、工務店で1メートル55円。
 この紐はとても丈夫で、実はうちの洗濯竿はこれで吊り下げられています。もう11年、雨ざらしで使用していますが、朽ちる気配はありません。だからきっと、ボロで縫ったこのバッグが朽ちて溶けても、この紐だけが残って、次のバッグに引き継がれていくのでは・・・と頼もしい紐です。
 近所にあった手芸屋が店を閉めてしまってからというもの、たいへんに不便です。そう愚痴ると、たいてい「百均にいけば糸も針もあるわよ」ってアドバイスをうけますが、そうじゃないんだよなぁ。
 手芸屋とホームセンターは大人のオモチャ屋で、楽しい。先週末、新宿に用事があって、南口に新しく(?)オープンしたユザワヤに寄りましたが、身に余る規模で、早々に退散してしまった。わたしには「近所の手芸屋」程度でよいのです。
↓表です。

↓裏側です。

3作目のバッグ。

 とりあえず、バッグの製作はこれでちょっと休憩する。
 今回は素材(昨年のウサギと今年のドラゴンの布製のカレンダー)に頼った、ちょいと卑怯な作品ですが、2年越しのものです。
 中央線の荻窪駅が最寄り駅のC.C.Boomというお店に、オソージガカリさん用のシャツをたまに買いに行きます。オンナ物も置いてあって、最近はわたし用に買いに行くことが、どっちかっていうと多いです。そこを目的に行くのはちょっと気が引けるので、そのあたりに用事を言いつけられると、いそいそ行きます。で、そのお店に年末年始周辺に寄ると、カレンダーが頂けます。ジーンズのとてもしっかりした生地なので、カレンダーだけにしておくのはもったいなく、わたしは毎年それでバッグをつくっています。
 今年はまだ終わってないというのに、早々にバッグにしてしまった。暦の部分は、内側に折り曲げて内ポケットにしてあるので、中をのぞけば、今日が何曜日かわかります。
↓左は子年、まん中は丑年、もうかなり使い込んでいてくたびれ風というか、しわくちゃですね。アイロンをかけてから撮影すべきだった、かな。右が今年の辰年です。

↓裏側です。左2つは1年分のカレンダーでつくったもの。丑年のカレンダーバッグでインドに行きました。右のバッグは辰年の裏側の卯年。

新作2点

 今回は、わたしにしてはちょっと地味めな作品2点です。

 一見、「折りたたみ傘」していますが、実は「元傘」です。左の白い花の元傘は、突然の爆雨で、出先のスーパー・マルエツで380円で購入したもの。この出費を惜しんで雨に濡れるのも、せっかくの日曜日の午後をスーパーで時間をつぶすのもばからしい値段です。
 しかし、その後、2度ほど爆雨に遭って、あえなく骨折。燃えないゴミに骨だけだしました。
 右の色あせた黒地の元傘は、30年前に5,500円で購入したもの。世田谷の下北沢駅北口の階段を下りて、ピーコックの右隣りにあった傘屋で買いました。
 今では100円で買える透明のビニール傘も、当時は780円とか980円ほどしていたような記憶があるが、それでも傘に5,500円はわたしには大奮発だった。
 雨の日以外はたいていバイクでお仕事回りしていて、雨の日は電車で営業回り。だから雨の日はスカートがはけて、ちょっとオトメチックにおしゃれができる日だった。そんな雨空にこの傘を持つと、足下は長靴なのに、赤いハイヒールと赤い帽子で、シンデレラ気分になれた一品です。
 この傘で8回の引っ越しをして、ずっと使いつづけたけれど、とうとう骨が折れた。折れても棄てる気にはなれなくて、布の部分だけをずっと持ちつづけていた。先週末、次の姿を思いつき、お買い物袋、マイバッグに改造した。
 かなり老体なので、やつれた風情をしていますが、ひとたび雨に濡れ湿気を帯びると、若返るんです。ほんとです。さすが、5,500円の底力を感じます。

至福の作品

ごぶさたしております。
 久々ということで、最近のわたしの幸せを報告。
 ミシンの前に座っているときと、雑草を抜きつつ、植えた野菜や花を眺め、それに成長やら変化を発見すると、この上なくドーパミンが放出されます。春が過ぎ、ややオトメな時間を味わっています。
 で、前々回の青いジャケットの修理につづき、今回の作品(?)は2度目の修理となったGパン(この頃はジーンズなんだそうで)です。オソージガカリさんのお下がりで、彼も十数年はいていたんじゃないかな。尻とひざ小僧あたりの布が薄くなってしまって、やらせじゃない本物のショットガンパンツ寸前をもらい受けました。
 ポケットを付け替えて、ひざ小僧にあて布をしたのが1回目。今回は、透けてきた尻下部に切り落とした足の部分の布を貼り、ショルダーバッグなどでサイドがすり切れていたので、そこも開いて端布を挟んで、ラインをつけました。
 あちこちにあて布したので、鎧のようなGパンになっちまいました。
 履き古したGパンは履き心地が楽だってコトで、オソージガカリさんは手放したがらなかったのですが、あて布したGパンでインドに行ったら、気のせいか扱われ方に「雑」を感じて、諦めてくれました。
 ラッキーです。
 最近のGパンは中国製が多いですね。綿100%じゃなくって、ポリエステルがちょっとだけ入ったのは最初から柔らかくって履き心地が良いです。ちょっとの量は、わたしは3%が好みです。5%になると、ややウソっぽいGパンに感じてしまいます。
 いつ買ったのか覚えていないこのオソージガカリさんのGパンは、なんと綿100%でこの柔らかさ。そして、日本製でも中国製でもない、ヴェトナム製のラングラーでした。
↓後ろ姿です。

溶けている。

 暖かくなって、身もココロもとろけそうであります。
 そんなわが家の中で、本当に溶けてしまっているモノを多々見つけて、きょわ〜っ!ですわ。冬の食べ残しのサツマイモや大根、これは何だったのでしょう? がここにもそこにも発見されて、キモチ悪ーなんて尻込みなんてしていられません。わたし以外の誰がこれを始末しましょう。ニオイを感知したら注視せずに、ビニール袋にぽいっ!
 ふ〜、GWは家の中でゴミ袋が手放せませんでした。
 昨年のパパイヤは、越冬させられませんでした。雪の日にビニール袋をかぶせて、外し忘れてとろけさせてしまいました。地中で根っこがエイリアンが口を開けているような状態だった。パパイヤは深く根をはり、繊維質なのかなぁ? 溶けているのにゴム手袋とシャベルで、綱引きでした。
 昨年の緑のカーテンだったパッションフルーツが、こんなにも暖かくなったというのにちっとも芽を出しません。地面を掘ってみると、これも溶けていました。苗を見つけたので、こっちは再チャレンジです。
 昨年の初冬に植えたチューリップの球根から芽が出て葉っぱが伸びたところで、長い停滞期間にはいってしまった。こんなにも暖かだというのに、わたしのは凍結しているのだろうか? うんともすんとも言いません。近所の庭ではチューリップが風に吹かれて重いアタマをゆらゆらさせてるってのに、うちのはフリーズしたままです。
 これから花を咲かせる気があるのかないのか? ないなら、わたしはそこにパプリカの苗を植えたいのです。実は、ズッキーニの苗も買ってしまって、スペースを探しています。
 GWの最終日、渋谷公会堂までクルマで行きました。渋滞を見越して家を出たのですが、道路はガラガラで、ずいぶんと早く到着してしまった。これでは駐車時間が長くなり、料金アップ!
 しかしわたしは、渋谷公会堂の地下の駐車場に入ってクルマを停めたところで、財布を持っていないことに気づいた。
 きょわっー! ですわ。
 幸いにもオソージガカリさんが財布を持っていて、事なきを得たのですが、財布のない人生はかなり心細いことを、しみじみと感じ入ったGWの最終日。それにしても、都心の地下駐車場でたむろう若者たちがいて、驚いた。だって、渋谷区役所の下であっても、決して安くはないのですよ。

ちょっと見てくださいまし。
 あ〜どーしましょうっ! ていうくらい、日だけじゃなくって月までもがすぎていきました。「旅行人」が休刊になって、今までなら6月1日号制作追い込み時期で、それもないのに、取材旅行だってしてないのに、わたしには昨年からの計画である木の掘り起こしさえたどりつけていない。しかし、一昨年からはじめたジャケットの修理を終えて、数日前からの再デビューです。
 人がどー思ーとも、とりあえず、これでまた4〜5年は着られる。
 30年前に買ったたぶん麻と綿の混紡かなぁ? 肌触りのいい青いジャケットで、とても好きです。それが、いい具合に色も褪せてきて、生地も困ったことに薄くなってきました。
 実は一昨年から去年にかけてボロボロズタズタになってしまっていた裏地を剥がし、それを型にして新たな裏地を縫って取り付けたのですが、なんだかな〜・・・なカンジ。
 ダメだ、こりゃ。
 ということで、またそれを取り外し、裏地なしで着ることにしました。しかし、それではポケットとか縫い合わせが丸見えで、糸もほつれてくる。わたしには大きなサイズなので、袖口を折ります。その折り返し部分と、ちゃっちい布のポケットを綿のハンカチでくるみました。そしてほつれてくる布の裁ち口は青い糸で括ったのですが、ちょっと淋しいカンジ。ハンカチの色に合わせて、ピンクとベージュの麻糸でも括ってみました。
 とりあえず、今年はこれでいこうと思います。外見は褪せた藍色で渋いですが、内側はキッチュ(?)な一着です。

↓実はシブいジャケットです。

ニュアンス。

 毎度毎度、たわいもない話です。
 身の回りの世話が必要・・・なわけでもないが、そろそろと孝行娘をやっている。母の苦手は梅と酒と甘い物と思っていたが、今年になって人生初のコーヒー(インスタントだけど)に挑んで気に入って、砂糖を2杯入れている。ミルクも牛乳じゃなくって、粉タイプが好みだ。
 実は、3年ほど前、食堂であんかけ五目焼きそばを食べた母に「初めて食べたけど、美味しいね」と言われて、胸キュンしてしまった。それからは、彼女が食べてないだろうモノを探しては、せっせと運んでいる。人生の終盤に、ピザを食べさせたり、クリームチーズ入りのパンとか、ビビンバもお気に入りになった。
 で、今月になって「コーヒーは封印した」と言う。案の定で体重が増えたそうだ。
 昨年の暮れ、自転車で坂道を登って、途中で力尽きて転けて、膝にひびが入った。病院体験の少ない彼女は、それはそれは大事に病院がよいし、完治したところで骨密度を調べて「60代」と言われ「骨壺に骨が入りきらなかったら、どこかに捨ててもいいからね」とはしゃいでいる。母の友人も骨密度を調べてもらって「50代」らしい。母は少々悔しがっている。
 いろいろあって、昨年は若い頃の農作業の大変さを思い出して「辛かった」と愚痴ていたが、骨密度の「良」を知ってからというもの「若いときからずっとお日様に当たっていたのが良かったのかねぇ」になった。
 それはそれは、よござんした。
 話はそれてしまったが、母の最大の苦手というか、年をとるととかく役所の連絡とか書類とか、とにかく新聞以外の活字に拒否反応を示す。それで溜まってしまったそういう書類を開封して説明して処理してあげると「大変だったねぇ」と娘のわたしに毎度毎度言う。溜め込んだ煩わしさに比例して、その回数たるや・・・で、そのたびに「大変じゃないよ、簡単だったよ」と毎度毎度言い返す。
 あ〜面倒くさいなぁ。
 で、そんな月日が2年ほど経ってようやく判った。彼女の「大変だったね」は、単に「ありがとう」なんだ。それならそうと「ありがとう」って言ってくれたらわかりやすいのに。それで、母に「大変なコトじゃなかったから「ゴクロウサマって言って」と頼んだが、ダメだ。すぐに「タイヘンダッタネ」になる。
 根負けして、タイヘンダッタネ=アリガトウとアタマの中で変換することにした。
 昨年の暮れ、ポンチョタイプの毛皮を手に入れた。可愛いのですが丈が短くって腹のあたりがスースーする。春間近になって、近所の買い物に着ていたら、馴染みの魚屋のお母さんに「いいねぇー」と誉められた。誉められることが少ない人生を歩んできたので、つい「ありがとー、古着屋で買ったのよぉ」と照れてしまった。
 ら・・・「古着屋なんて、リサイクルショップっていいな」とたしなめられてしまった。
 古着屋とリサイクルショップ、ビミョーに違うのでしょうか?