洗濯物が乾かなくなって冬を知る。

 あ〜あ、なんだかなぁ、所帯じみた季節感だ。
 家の前の花が一年中咲きっぱなしで、ほぼ丸三年。お向かいさんとお隣りさんに、「そこは日当たりがいいから・・・」とずっと言われている。それに異存はない。わたしのおかげでなんて、これっぽっちも思ってはいない。みんなお日様のおかげです。夏の水やりも、今年は雨だよりだったが、けなげな花は実は強いんだ。

 毎朝歩く道の両脇の畑、次から次へと野菜がぴょんぴょん生えてくる。それはまるでマジシャンの箱のよう。

 数日前までは一面のキャベツ畑だったのか、ブロッコリー畑だったのか、記憶の方が追いつかない。もうその道を何年も歩いているので、想像のつかない芽も葉もなくなった。が、絶対これは食べたことがない、なんだろう? と思わせる葉っぱが畑一面を覆った。ある日、突然にそれがぐしゃぐしゃに畑に鋤きこまれていた。どうもレンゲのように畑の栄養用の草のようだ。

 途中に気になってる野菜があるのに、畑の主と会えないでいて、それが手に入らない。聖護院カブ級(よりちょっと小さめ)の赤いカブ、あれをスライスして甘酢漬けにするととっても旨いこと知っているのに、残念だ。ここ数日、通るたびにそれが減ってきている。早く主に会わないと、無くなっちゃう。

 長く生きているといろいろあるが、ひと所に長くいるだけでも、いろいろあることに気づく。
 まあ、これはいわば定点観察のようなもので、その変化の早さに目を見張る。でも、実はその速度が速いんだか、遅いんだか、よくわからないものもある。
 この地に住み、足かけ九年たってもうすぐ満八年だ。
 以前のところには七年半住んで、その前は一年半、そのまた前が四年半で、もっと前は頻繁に引っ越ししていたから、今は日々、最長記録を更新中だ。

 収入の向上とともに、飽きと利便性と贅沢を足して引っ越しをしていたのだが、この地が大いに気にいったわけでもないのに・・・良くも悪くもだんだん動きが鈍くなってきた。
 良いのは懐にだけで、悪いのはどこかになにか大事なモノを埋もれさせているような気がしてならない。そんなのは引っ越しでもしなければ、出てこないのだ。

 前回住んでいた七年半の間に、最寄り駅が始発の地下鉄が延長されて、「おー一気に新宿まで行けるっ!」ってことになった。その後、もっと延長されて六本木とか麻布あたりにも一気に行けるようになって、開通したばかりの頃の休日に「さぁっ麻布十番の骨董屋巡りをしようっ!」と勇んで行ったが、日曜日にしかやってこられないような客など必要ないのか、どこもかしこも休みでがっかりして帰ってきた。
 もう行くもんかっ! のトラウマになっている。必要とされていない客なんだ。

 かつて東京の外れに流れてきた気分にさせられたその地だが、離れるときにはかなり便利な地になった。実はいま住んでいるところよりお出かけには便利だ。自転車通勤の途中には工事中の広い道路があって、そこに住んでいた七年半の間には完成しなかった。広い畑がならされて分譲住宅になり、一挙に二〇軒近くの家が建ったのにも驚かされた。
 いま住んでいるところも畑がどんどん潰されて家が建つ。一軒の家が更地になって三、四軒の家が建つこともある。
 で、先日も畑から野菜が消えて平になって、次の野菜の種が蒔かれるんだろーなーと思っていたら、今度はちょっと様子が違う。それならば、家が建つんだろーなー、何軒の家が建つのかと毎度の勝手な想像をしていたんだが、これまた違った展開。道路予定地の立て看板が立った。

 本気だったんだ。
 だって、以前の住まいの近くにできた道路だって、とある読者が子どものころからあった計画で、開通したときには彼の腹回りはもうオヤジ(?)級なっていたんだもの。今回の地に越してきた八年前も、そういえば、道路の話を聞いたような記憶が、カスのようにアタマに残っている。

 で、練馬区の地図をみると破線の道がある。これなんだな。で、毎朝通るお寺の墓地の裏手でシャベルカーが土を掘り、建物を壊してる。もう、こんなところまで来たのか。
 しかし、おいおい、墓地はどうなるんだろう?

 こういうときばかりは都合良くおばさんになりすまして(そのまんまだが)、毎朝墓地裏をチェックしてる。だってここに道路ができちゃったら、クルマの日はわたしはここを通って家に帰ることになりそうで、墓地だった場所をクルマで通って、足、いやタイヤを引っ張られやしないかと、ちょっと気になったりしてるだけ。