メガネのある生活。


 サハラ砂漠シュラフにくるまって見上げた夜空の星が、クラマエと私で数がかなり違っていた。近眼のクラマエと、当時視力1.5のわたしはそれを知って、かなり感動した。

 以来、「いくつ見えてる?」と訊いてから、夜空にある星の話をする。

 わたしの眼球に映る映像は、いつもすっきり明快です。曖昧な姿はなく、輪郭も部品もシャープです。だから焦点をズラして見ると第二の映像が浮かび上がってくる……みたいなのは苦手で、何かが見えたことはありません。
 常にピントピッタリのカメラのごとく自動焦点がなされ、ボカすことが技術的にできないみたい。

 それから幾年月か過ぎ、今は仕事中と本読みにメガネが欠かせなくなりました。だけどまだメガネをかけなくても小麦粉と片栗粉は見分けられるし、ご近所さんの顔もクラマエより識別できます。メガネをかけたままで遠くを見た日にゃ、かえって慣れぬピンボケ風景が気持ち悪いことこの上なし、のレベルであります。それにしても、メガネを掛けたり外したりの頻度が増し、首からぶら下げたりでフレームが歪んできたし、耳のところがこの頃痛む。

 仕事中、郵便局に出かける。
 自転車をこいでいて、メガネがかけっぱなしであることに気づくことが増えました。もちろん、気づけば眼球に映る風景はぼやけているじゃありませんか。
 わが身の偉大さに拍手しましょう。
 吐き気をもよおす歪んだ風景を毛嫌いするより、指示を受けるまでもなく歪んだ風景を受け入れる寛容さが自身に育っていたとは。

 日中、メガネをかけている時間は仕事時間によるけれど、外すのが面倒が勝ってきて、確実に増えている。そしてピンボケ風景を見て見ぬ振りしている自分に気づく。どうなっていくのかなぁ。