引っ越し貧乏。


 わたしは二十代に六回住居を替えたのですが、それらはそれぞれにそれなりの理由がありました。ちなみに細かいとこまで勘定すると三十代は四回、四十代に入ってからは一回だけです。

 母はわたしの住む場所を見ては、「タヌキの穴蔵みたいだ」とか、「カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘る」とか言って、決まって「引っ越し貧乏だ」と締めくくるのでした。

 わたしの両親は、わたしが小学三年生の時に家を建て直したのが一回こっきりの引っ越しであります。といっても、裏の田んぼを埋めて家を建てただけなのですが。それでも地名が変わり、もちろん番地も変わりました。古い方はわたしの本籍地となっているので、家はなくともわたしにとっては現役住所です。両親の電話は初めて引いたときから変わってないので、自分の誕生日ほどに忘れられない数字であります。

 実家の住所と電話番号はなによりも不動(わたしの知らぬ間に市外局番が変わっていて、家に何度電話しても通じなくって、大騒ぎしたことはありますが)で明解なものと思っていたのですが、ずいぶん前のことですが、郵便番号が変わった。が、どうしても覚えられないので、結局は今でも最初の三桁だけで手紙を書いている。それなのに、郵便号を覚えきれないうちに、昨年の秋、実家の住所が変えられてしまった。

 最近、日本中で村や町や市の統合とやらで、住所が動いている。あろうことか、それにうちも組み込まれたのでしょうか。地名の後に続く番地が三桁の数字のみだったのに、これからは「○丁目○番地○号」だなんて、はっきり言ってうちの実家に「丁目」ってのは似合いません。地名は昔からあったものに戻ったので違和感はないのですが、田んぼと畑だらけで、ネギや大根が育つ母の畑は何丁目なんだい? と笑っちゃう。

 わたしたち親族は母の実家の辺りを「麻機あさばた」と呼んでいます。わたしも母も記憶にあるかぎりそういう地名で呼び続けていますが、手紙や小包を出すときの住所は「東ひがし」です。伯父の家は「唐瀬からせ」と呼ばれているところにあるのですが、手紙などでは「南みなみ」あつかいです。静岡市には他にも「北きた」という住所があって、なぜだか「西にし」はありません。

 うちの近所には同じ番地の家が2、3軒ずつ数組あります。何故なんだろう? と以前、練馬区役所で訊いたら、「いわゆる住所は郵便物の配達のための便宜上のものだから……」というようなことを言われた(気がする)。住所と地名は別物なんでしょうか?

 で、ここんところ旅行人の読者の方の住所も変わりつつある。市町村合併やらでのせいだが、わたしの両親の住むところはそういうのじゃないが、なぜなんだろう。そういえば、両親の世代からわたしの幼なじみの世代がわりが進み、畑が田んぼが次々と宅地になり、家やらアパートが建ち、コンクリート打ちっ放しの家が幼なじみの家の隣りに建っていたのには驚いた。そこは子どもの頃一面が田んぼで、籾殻をくすぶらせてさつま芋を焼いた冬の風景が思い浮かぶところだ。そういえば、正月に帰るたびに家が増えて、風景がかわっている。住宅地になりつつあるせいで住所表記がかわったのだろうか?

 両親の家の前(南側)も平屋の貸家がアパートに替わると正月に聞いた。父親同士のお仲がちょっと良くないとのウワサも聞く。何事も起こりませぬように、なんまいだーなんまいだー。