誕生日がやってくる。


 もうすぐ誕生日がやってくる。

 「とうぶんの間、なにもほしがりません」の約束で、去年の春に50cc のチョイノリバイクを買ったので、年をとること以外、何もイベントがない。日曜日だしな、ケーキぐらい買って、夕飯はカレーだな。

 クラマエの誕生日は正月にあるので、前日に「明けましておめでとうございます」を言って、翌日に「誕生日おめでとう」と。これまた静かに明けて静かに閉じてる。クリスマスの頃、「誕生日とクリスマスのセットでなにかほしい物があるか?」と訊くのがこのごろの習慣になっているが、たいてい「ない」の返事なのでしかたがない。

 それが、ここ二回ほどだが、言うことが変わってきた。心境の変化なのか、「ほしい物がある」の楽しい人生を久しぶりにゲットしたんだけれど、それが大きすぎて、かなえられないというおまけが付いて、とうぶん長持ちしそうです。

 順番は知らないけれど、クルマとホームシアター古伊万里を欲しがっている。クルマは毎週クルマ雑誌を購入して研究してるんだか、あれこれ思案している。それで時々、クルマのディーラーにまで行って、新車の説明を受けている。そうしてパンフレットまでもらってくる。

 ウチのテレビは1992年に購入したものなので、画像の色がよその家のテレビとだいぶ違う。クラマエはビックカメラみたいなところをハシゴして、ホームシアターの説明をこれまた真剣に聞いている。スピーカーやらスクリーンのサイズを気にして、どこに置けるんだろうとか。そして、手に入れる前に「生活スタイルを変えなきゃ、使う時間がない」を自覚して、熱を上げたり下げたりしている。

 古伊万里も欲しがっているが、そんな高価な皿にうちの夕飯のなにを盛るのだ……という矛盾というか現実にブチ当たっている。ベルリンの骨董屋でコーヒーカップの値段に驚いていたら、「使うカップならデパートに行きなさい」と助言をいただき、そう思ったことがある。

 今のところ冷静な判断ができているようで、思案することを楽しんでいて、幸せ者だ。

 三十代になるときは解放された気がして嬉しかった。四十代になったときは、「年のわりには未熟だな」というのが感想だった。体重と年齢は目安だと気づいてから、気にしなくなったけど、欲しい物がないのはつまらない。今年はクラマエみたいに欲しい物ができますように。