半世紀が近づいて。


 染みる染みる、みそ汁が五臓六腑に染みわたる。
 口内炎の原因がわかった。歯が痛い原因もわかった。

 夕飯を食べて横になったら、四肢に重しをつけられて海に沈んだように起きあがることができず、それでそのまま遠い意識の中でテレビの声を聞いた。朝青龍と天馬の取り組みが終わってから間もなくだった。
 こういうときは眠るにかぎる。寝ちゃえば苦しさなんてあっち行きだし、と思うのだが、意識が消えない。カラダの上に、そうだ20年前、ゴルムドをたってラサに向かったとき標高5000メートルあたりのところで泊まった宿で掛けられた布団、あの夜のようだった。標高のせいかアタマがキリキリ痛んで寒くって、体育館のマットのような掛け布団を何枚もかぶったけど、重たいだけで熱を吸い取られるような布団だった。あの掛け布団を思い出させる重さが、空気しかないわたしのカラダの上を覆っていた。
 なんなんだ、オマエは?

 これが噂に聞く、カラダが重いってヤツだな。
 わたしは痛みや疲れに鈍い。以前、手術をしたときもその傷口を押されて、「痛いですか?」と訊かれたことがあったが、その痛いはどれくらいから訴えたらいいのだろう? といつも悩む。それで、深夜に突然、胸が息苦しくなって呼吸困難に陥り、ナースコールをした。どんな時間に呼び出しても、笑顔の看護婦さんはわたしの窮状にも慌てることなく、湿布薬を取り出してわたしの胸に貼ろうとする。
 違うっ。絶対に違うっ! わたしのこの息のできなさは、湿布薬でどうなるものではない。だってわたしのおじいちゃん、心臓弱かったんだから。

 手術をして、筋肉が驚いているのだと教えられた。わたしが意識をしてなくっても、カラダにメスを入れられてるってことは、カラダが恐怖を覚えたのでしょう。それで、筋肉痛がおきて呼吸困難になったようだ。
 このときの手術は早朝の急患だったので、麻酔医師が間に合わず、局部麻酔でやった。「お願いだから意識をなくして」と執刀医に頼んだが、今回はダメだ、と言われて、開腹されながらおしゃべりをするというかなり希な体験をした。正座して痺れた足を触られているような感覚で痛くも何ともないが、お腹の中を水(?)でじゃばじゃば洗われている感触も引っ張られていることもわかって、なんだか変な感じだった。それで執刀医とも冗談なんか交わせるのだが、横になっているだけなのに運動をしたあとのような疲れがたまってきた。だいぶたまってきたところで手術が終わって、よかった。

 うーむ、話がそれてしまったが、鈍いわたしの意識に代わって、カラダからの注意警報が鳴って口内炎になったり、歯が痛むようだ。遅ればせながら、人生半世紀ちかくを生きてきて、ようやく自分のカラダの声なき叫びを聞いたわけだ。そういえば、中学や高校生のころもよく口内炎を患っていて、最高23個を数えたことがあったが、あれはなにに疲れていたのだろう。疲れるほど勉強した記憶もないし、悩んでいたこともなかった気がするが。

 遠い声でヤクルトが点を取った、あっ、打たれた、あっ、嫌いなTに打たれた最悪……。あっ、追いついたみたいだけど、もう聞いてられない。眠っちゃいたい、のに意識が消えない。あっ、「代打オレ」の気配。これだけは見なくっちゃ……と起きあがるも、打席に立ってるのは鈴木だ。あ、古田が手袋外した……。あぁもうダメだ、歯を磨いて寝よ。
 翌朝、ゴミ回収のクルマの気配で我に返る。9時54分。週一の不燃物の日だったのに、最悪。

つづく。