20世紀、少女だった。


 ちょっと前の土曜日、神宮球場に野球観戦に行った。
 ヤクルト対巨人戦。鴨がネギ背負ってやって来た試合……かもしれないが、神宮球場観戦でヤクルトが勝った試合に長いこと無縁なので心配。心配は当たってしまって、巨人の10連敗を阻止してしまった。しくしくだ。
 (と書いてから、だいぶ日がたってしまった)

 数年前、知人が突然に父親を亡くした。それから数カ月後、その知人にスライドのフィルムケースを「欲しい?」と訊かれた。もちろん、いくつも貰った。
 彼女曰く、「残された者が残された物で苦労しないように」と身辺整理をしたんだそうだ。線の細い人なので、縁起でもないこと言わないで欲しい……とやや不安になったが、なんのことはない。相変わらずケガはたくさんしているけど、まるっきしの元気者だ。

 やはり数年前、わたしは突然に友人を亡くした。その一週間ほど前、彼の住むマンションの下を歩いたのだが、「今回はパスしとこ、再来週もここを歩くのだから」、そんな会話をしたあとだったので、納得も実感もわかないまま今にいたっている。もう会って話すことはできないけれど、わたしの中の彼はわたしがどんなにしわくちゃになろうとも、ちょっとお茶目な48歳のままだ。
 彼の葬儀には彼の会社周辺の仲間がたくさん来ていて、それに加え大学時代の仲間も大勢集まった。その中に、わたしも知る人が何人もいた。実に久しぶりで、10年、20年ぶりの顔がたくさんあった。不謹慎だけど、懐かしい顔にちょっとだけココロが騒いでしまった。

 親類の葬儀にはもう何度も出た。親類の葬儀は共に暮らしている者のうつむき加減の顔に涙を誘われる。「このたびは……」という言葉のちょっと後で、近所の人や甥や姪、ちょっと外側の親類たちは久しぶりの会合に話をはずませている。あちこちにそういうかたまりがいくつもできる。
 なんと不謹慎な、と思わなくもなかったが、久しぶりにあった従姉妹たちと話が弾んでしまう。
 困った。哀しいのに。そして、伯父の顔を覗けば、涙がこみ上げてくる。

 母方の祖母が亡くなったときだ。喪主だった祖父が、葬儀に集まった人たちの前で、「ありがとう」と祖母に礼を言った。足が悪かった祖母は晩年、いつも縁側で縫い物とか内職をしていたような……。祖父はそういう祖母とは段違いに丈夫で社交的だった。ほぼ毎日、囲碁にゲートボールに原チャリで飛び回っていた。
 祖母の葬儀にたくさんの人が集まったのだが、その中には祖父にとって久しぶりに見る話す親類知人が多かったようだ。
 それで、「おばあちゃんが、懐かしい人たちをこんなにも呼んでくれた……みんなに会えて嬉しい……」と感謝してた。

 20年ほど前のことだ。
 それから半年後、わたしは長めの旅に出た。それから半年後だろうか、祖父も逝った。

 何年も前、友人を亡くした。ちょっと気が進まなかったが、彼の葬儀に出た。その葬儀は、彼の本意なのだろうか? と、ときどきその光景を思い返す。わたしが知る彼には想像のつかない葬儀だったが、知らない部分でそうだったんだろうか。よくわからない。
 それで思った。葬儀は当人のものじゃないんだ。戸籍上、あるいは距離的にいちばん近くにいた者に葬儀方法を選ぶ権利がある。先に逝く者の置きみやげの要素もあるのだろう。

 わたしが死んだら、葬儀なんていらないな、と思いつづけてきた。それで骨はどこかの木の根っこあたりか、川に流されるのもいいな。だけど、葬儀に関しては最近、ちょっと気持ちが変わった。

 どこか広いところで立食パーティーでも開いてもらおう。いくつで逝くのかわからないけれど、年寄り用にイスもたくさん用意して、疲れたら座れるようにしておかなければ。それで、ちょっと悲しんでもらって、振り返ったら旧知の顔があって「おや、久しぶり」。後ろめたい気持ちなんてもたずに、大いに笑って食べてくれたらいいな。
 どこかでカルカッタの話で盛り上がる輪ができ、中国のバスのサスペンションの悪口で花を咲かせ、ナイロビの水事情の悪さを罵る者あり、一週間の睡眠時間が10時間だったよねぇ、電車賃が高くて原チャリで届けものしてたなぁ……とか、多くの人がたくさんの輪を作って旧交を温めてもらう場を、わたしはこの世への置きみやげとしたい。