お叱りの日々。


 最近(だけじゃないけど)、クラマエによくお叱りを受ける。

 わが家の掃除(機がけ)を一身に担っている責務というか意気込みでか、それは鬼気迫るものが……ないないそんなことないけど、ほぼ毎日、クラマエが掃除機をかけてくださっている。ご苦労様です。

──床にモノを置くなっ!

 って言われている。掃除機かけるのに、いちいちそれらをどけなくてはならず、とても面倒なんだそうだ。ごもっとも。クラマエが掃除した後は、いろんなものがあちこちに載せられている。丸めた絨毯や折りたたみイスがベッドの上に、体重計が便座の上に、スリッパがテーブルの上にってことはないけど、食卓周辺のモノがわたしの机へと片付け(?)られていることも、しばしある。これにはわたしも抗議する。わたしの机に置く=片づけじゃない、と。

 それで、最近クラマエに言われたこと。
──能力が落ちたな……。
 わたしの収納能力が落ちたというのだが、それは誤解だ。
 前回の引っ越しで、「4トントラック1台」と見積もられた荷物だが、現実はほぼ2台分あって当日大わらわした。それは、見た目の荷物の裏側に倍以上のモノがあったからだと思う。

 それなのに、数年後の今は家のあちこちに、それも床の上にいろんなものが置かれていて、邪魔だったらありゃしない、ということらしい。それが違うのだ。これは意図的なんだ、ということを、理解してもらえてない。
 捨てるのが下手なわたしはあれこれしまい込む。5年前に炊飯器を買い替えたんだけど、壊れた訳じゃないので捨てられず、台所の奥深くにしまい込んでいた。客が大勢来たときように……という理由だったけど、ようやく決心がついて捨てた。この5年間、一度も使わなかった。なおかつ、周辺の人々の年齢が上がり、みんな食べる量が減ったので、たぶんこれから必要になることはないだろう、というのも後押ししたんだけど。

 しまい込むと、存在を忘れる。
 その5年前の炊飯器の横にあった紙袋には、スーパーの袋がきれいに折りたたまれてたくさんあった。空のガラスビンもたくさん見つけて、それは資源ごみの日に出した。床に這いつくばらないと覗けないそこには、ポイントをためてゲットしたキャンプ用の鍋や南インドで買ったカレー用のステンレス製のプレートとタイで買ったステンレス製の皿もある。ラオスの炊飯器セットもあるし、アムステルダムの古道具屋で買ったジュース絞り器にデロンギエスプレッソ用コーヒーメーカーもある。いずれもいちいち出して使う気にはなれず、しまいっぱなしだ。

 数日前、食べきれないパンを冷凍したくて、冷凍室を調べた。正体のわかるものと、ぜーんぜんってモノがあった。後者のそのひとつを解凍して、昨夜その正体が判明した。母親から去年の盆か正月にもらったマグロの角煮だった。今日の弁当の具にしたが、今のところ腹にきてはいない。クラマエからも苦情はないし、めでたしめでたし、でほんのちょっと冷凍室に空きスペースができた。
 実は夏のキャンプ大会で正月の残りのモチを焼いて食べたが、あの後も誰も苦情言ってこない。冷蔵庫の中にはメキシコ土産のココアの素もあることは忘れてない。あぁコワイ。わたしにもしものことがある前に、いろいろ食べて置かなければならないモノが、たくさんある。10年くらい前のライスペーパーをなにかのついでに見てしまうのだが、どうしたものか。

 ということで、食べるために使うために、しまうのをやめだしたのである。解ってもらえるだろうか。