キャベツ畑で……


 最近、ちょっと気になっている場所がある。前回に書いたところなんだけど、そこを昼晩(朝晩じゃないんだな)と通るたび、足が止まる。自分の畑でもないのに、野菜のなり具合をほぼ毎日確認してる。
 今は端境期か、大根と白菜、背伸びをしたブロッコリーが少し残っているのみ。近所には他にもたくさんの畑があるのに、なぜだかそのあたりの畑が気になる。昼間より、夜遅くに見るそこが好きだ。満月の夜はもっと好きになる。晴れて星がある日もかなり好きだ。

 静岡から東京に出てきた学生時代、「生き馬の目を抜く(く−っっっ! かなり古くさい。今や死語か)」とか言われた都会生活に憧れたのに、わたしの通う学校はかなり田舎にあった。ほぼ高校生時代の家の近所級で、横浜の方から来ていたコも多くいて、都心を素通りし、二時間以上かけて通っていた。彼女&彼ら曰く「途中下車したくなる気持ちを抑えるのが、毎日ひと苦労……」と。
 三〇年も前だったせいもあるけど、どこが東京だっちゅうの! っていうくらい学校の周辺は畑だらけで、日曜日になると都心に出るためのバスが一時間に一本。椎名誠さんの著書『国分寺のオババ』で有名になった中央線の国分寺駅を出る最終バスは夜の八時で、しくしく……の悲しい週末だったなぁ。

 学校とアパートは徒歩一〇分弱だったろうか。途中には畑が広がり、季節は忘れたが、その畑が一面キャベツで埋まるときがあった。その風景は今でもいつでも目玉の奥に映像で映せる。
 手塚治虫の『火の鳥』の宇宙編(?)にだぶるシーンがあって、夜遅くに見るその風景は、宇宙と宇宙生物のようで、恐ろしくもありわくわくする気持ちをも併せ持っていた。一面に広がる育ったキャベツの外側の葉っぱが、彼らを飛び立たせる羽のようだった。

──彼らはこの畑から飛び立とうとしている。絶対だ。

 そう思わせる風景で、

 いつかきっと、わたしはその目撃者になる──と勝手に確信していた。

 流星号と名づけたオレンジ色のペンキで塗りたくったマウンテンバイクタイプの自転車にまたがり、深夜、徘徊した。三〇年前は、飛び立つキャベツの姿以外に怖さを感じなかった深夜の東京でした。
 規模はかなり小さくなってしまったが、その時の風景を近所に探しているのかもしれない……なとも思う。練馬区は東京一(?)のキャベツの生産高を誇っているらしいが、三〇年前のあそこは、もっとすごかった。ということは、もうあのキャベツ畑はなくなっちゃったんだろうか。

 いつか機会があれば、一面キャベツの畑を満月の夜に覗いてみてほしい。できれば、街灯はない方がいい。