わたしにも弱点あり。


 ノドを傷めてしまった。

 もうかなり治ったけれど、たまに、なんの前触れもなくチクチクっときて、猛烈な咳が飛び出す。そうすると3〜4分だろうか咳が止まらなくなり、涙と鼻水とこみ上げる胃液で、顔が見るも哀れなんだか、無惨にびちょびちょになる。屋内ならまだしも、往来でそうなると悲惨で、先日はバイク走行中にそういう事態になってしまって、無惨を越えて危ないったらありゃしなかった。
 急いでアメとお茶でノドを湿らせるんだけど、すぐには止まらない。とりあえず、ひとしきりの咳と鼻水と涙で、数分間をやり過ごさなければならない。そうしてたっぷりの胃液を逆流させないと気がすまないらしい。しばらくやれば、そのうち止む。止まないことはない。苦しいというより、見てくれが悪い。

 ノドに弱点があるのかも。小学生の頃は、風邪をひいては扁桃腺を腫らしていたしな。だけど、もう切ったしなぁ。ひとりで仕事をしていて誰とも話さずにいるときなどに電話がかかってくると、焦る。声が出ないのだ。たまには独り言でも呟いておかなければならなく、慣れないので不気味だ。

 咳はとても体力を使う。

 そういえば、『シルクロード』の初版を作っているときも、ノドを傷めた。事務所のキッチンで涙と鼻水と胃液にまみれていたんだけど、あのときは誰も気にかけてくれなかった。みんな制作に追われていたからかなぁ。あのときは1週間で3キロの体重を落としたが、今回はそれほどでもない。
 胃液の逆流で、最近ちょっと食欲がない。食欲がないと楽だ。

 そういえば、昔々のクラマエの口癖。
──食べるの、面倒だぁ。食い物がチューブに入っていればいいのに……。
 それで、「今日は何を食べたいのだ?」と訊けば、「ニク」だったり「サカナ」だったりしたのだが、わたしが訊いてるのはそのニクが鶏なのか豚なのか? それでそれらがどう調理されてあればいいのだ? サカナ然り。

 バチ当たりなやつだったが、今はわたしがそんな気分。カトマンズで食べ過ぎたからかなぁ? 一生のうちの食べる量が決まっていたら楽なのに。そうすれば、人生計画も生産計画も予定がたって便利だ。余らすことも足りないも減らすことができる。

 食べるときに罪悪感を感じることがある。それはアフリカを旅してからそう思うようになった。アフリカ旅行中、食べることは命の引き継ぎの儀式みたいな料理を何回か食べたから。これにもう少し塩が入っていれば美味しくなるのに……と思うような豆を煮ただけの料理。味も素っ気もない、そのものだった。味覚の違いじゃなくって、食べるを楽しんじゃバチが当たるとでも言いたげな食事だった。

 と言いつつも、正月に父親に連れられて、石垣イチゴの食べ放題をやった。久能の石垣イチゴは一粒が大きい。入場料と見比べていくつ食べたら元が取れるんだろう……とおごって貰いつつもせこいこと考えた。目標は30越えだったけど、21個で降参した。これ以上食べたら腹をこわしそうだったし、とにかくもうげっぷ。
 因みにクラマエは40越えを達成。腹こわしも免れて、アンタの方が丈夫じゃんっ!

 もう、食べ放題でお得な年じゃないんだ。前回のカニ食べまくりの失敗を思い出して反省した。あの時はムダ食いして、その後2年間、カニが食べられないバチにみまわれた。

 暖かい日がつづく東京。すっかり春の雰囲気で、もうナベの気分じゃない。今年の冬に思い残すことが、わたしにもひとつある。今年もフグを食べそこねた。半世紀を生きてきたというのに、フグ食い未体験なのだ。昨年の秋、「今年こそっ!」と思ったし、事務所の近くにもフグ鍋の看板を見たりもしたが、また次回の冬に持ち越しだ。

 フグの他にも食べたことのないものはたくさんあるけれど、わたしの自慢は、生キャビアの味を知ってること。塩の利いたビンや缶詰のキャビアじゃなくって、ナマのキャビア。とろけるように美味しかった記憶があるだけで、もう味は思い出せないんだけど。それで、あまりの美味しさに、おかわりしたらバチが当たるような気分になってちょっとしか口にしていないのが、今でも心残りというか、わたしの人生においてのかなりの損失と思ってる。

 そういう人生なんだな、わたしのは。