3センチ分のドパーミン。


 熱しやすく冷めやすい性格。

 だからお願い、──泳いでる?──って訊かないで。

 仕事以外のことは必要性からじゃなくって、ほとんどが感情がさせているので、現在たくさんのことが沈静化している。まあ、休眠状態ってことですな。復活の予感付きのものもあるけれど、たぶん多くがこのまま起きないんだろうな。
 だから、もう泳いでいない。
 区民プールのプリペイドカード(2,000円分)がまだ2、3枚あるというのに。30分ちょっとかかって800メートルまで泳げるようになったというのに、記録の更新はされない。周囲の状況を顧みない小学生や、区民プールで水泳の特訓する父子に呆れたり、プールの中で井戸端会議している人たちに疲れたこともあるけど、まあ、冷めちゃったんだな。

 だからカラダにいいこと、今は一切していない。自転車にもめっきり乗らなくなって、タイヤの空気も抜けてしまった。抜けているので、乗る気にならない。入れればいいのに、面倒がくさくってそのままだ。家への出入りにも邪魔になってて、そろそろ片づけたほうが身のためだ。
 で、歩いている。風をきらないので、厚着をしなくていいのが歩きの長所だ。暖冬も心地よくって、歩くのに拍車がかかる。
 というのも、わたしは軽くて暖かいコートを一枚しか持っていないから。どういうわけだか、暖かいけど超重量級(すごく疲れる)、または軽くて風通しがいい冬のコート(何考えてんだ、インド人っ!)ばかりで、真冬はちょっと苦労する。

 歩きなさい──だから、これは天からのお告げかもしれない。

 熱しやすくって冷めやすいからそのうち飽きちゃうんだろうけど、熱するほど歩きに割り当てられる時間がないのが今のところ幸いしてる。
 ゆっくり歩くと今まで気づかなかったものが見えてくる──というクサイものではない。単純に、「移動」という行為そのものを気に入っている。たまに乗るバイクでの移動も気持ちいいし、クルマでの移動にも快感がある。

 昔々、50ccのバイクを手に入れたときの感覚をその「歩き」に思い出す。
 普通免許の付録でもらえる原付免許を、わたしは丁寧に試験を受けて取った。それで、希望すれば実技の訓練も受けられたんだけど、試験当日が無情の雨で実技の講習は中止だった。だから、クラッチニュートラ状態の意味も理解しないまま、加えてメカオンチのままバイク屋でバイクを受け取ることになってしまった。
 その時の悲惨な姿は、よくぞ世田谷区の豪徳寺バイク屋からアパートまで、免許を取りあげられることもなく、クルマに跳ね飛ばされることもなく生きて帰り着けた……と一部で笑いをとった。
 それからアパートの近所の一本道を(ほぼ直進)行ったり来たりして練習した。ようやく角を曲がれるようになった日、わたしはサイボーグのカラダを手に入れたような高揚感に包まれた。

──これがあれば世界の果てを触ってこれる。

 実際は、その50ccバイクでの最高遠出は、東京の下北沢から静岡の実家まで。国道一号線の中央の白線を見失わないようにして、箱根を越えた。一時間の休憩をとっての7時間走行。帰りは、箱根で50ccは走っちゃイケナイ道に紛れ込んでしまい、出口でお金を払おうとして、係の人たちを慌てさせてしまった。
「そのバイクは何cc?だね」と訊かれて「50ccですっ」って答えたもんだから。だけど粋な計らい(?)で、住所と名前をひかえさせられただけで、(50ccの料金設定がない)出してくれた。

 昨年、ケチなわたしがスニーカーに大金をつぎ込んだ。
 爪先の尖ったクツが好きだったから、どうもスニーカーのずんぐりしたデザインが受け入れられず、ずっと履かない人生を選んできた。デザインは今も気に入ってないけど、履いて歩くと気持ちがよい。最初はそうでもなかったけど、最近、音楽を聴きながらこれで歩くとチュルチュルと後頭部あたにドパーミンを感じるのだ。
 やはり、昔々、エアロビクスでのダイエットに熱中して、クールダウンでドパーミンを楽しんでいたけど、あれほどじゃない。わたしの「歩く」はドパーミンが必要なほど苦しくはないのに、気持ちよくなるのはなぜなんだろう? 不思議だ。

 そのスニーカー、靴底が厚くて、履くとね、背が高くなる。それで、友人に、「印象が違う」って言われた。といっても、3センチくらいだけなんだけどね。

 で、またまた思い出した。昔々、妹が飽きたローラースケートのクツをくれた。運動オンチだから外で履くことはせず、アパートの部屋の中で履いていた。クツ底の輪の分だけ背が伸びる。そうすると、世界が変わる。世界といっても、6畳と3畳だけの小さな世界だったけど。今までと違う角度で世の中を見ると、今まで見えなかった、潜んでいたものが見えた。見えたもののほとんどが棚の上のホコリだったりしたけど。
 それが気に入って、スリッパ代わりにしていた。届かなかったところにも、踏み台なしで手がとどいて、違う自分を味わっていた。

 だから、実のところ、そのドパーミンの出どころは、3センチの快感かもしれぬ。3センチに高低に慣れてしまったら、わたしはどうやってこの旅行人の事務所にやって来るのだろう。