規格サイズ外。


 昨年末、ようやくおろし器が捨てられた。

 あちこちが欠けていて、汚れが付着したせいなのか、かなり変色してしまったおろし器だった。
 親元を離れ、初めて手にした自分専用の台所用品のひとつ。だから、高価なものでもなく、これといって特徴のない近所の小さな雑貨屋で母が買ってくれたものだった。捨てる時期はもっと前にあったのに、未練たらしく新規のおろし金参入後も、たまに使っていた。

 おろし器、穴のあいたオタマ、小さなすり鉢の3点が、昨年末まで三つ巴となってわたしの料理人生を見守ってくれていた。といっても、たいした料理じゃないけれど。おろし器はダイコンとニンジンとレンコンくらいにしか使ってなくて、穴のあいたオタマは赤い花柄が描かれていてちょっと恥ずかしいデザイン。だけど、買い替える理由がないので使いつづけている。
 もうひとつの小さなすり鉢には、最初、底に吸盤が付いていた。それでテーブルに固定できて擂りやすくするものだったけど、わたしも長らくゴマを擂ってきて、それがなくても上手く擦れるようになった。さすが、年月の力は大きい。
 まあ、わたしの料理人生、すり鉢を使うのはゴマ以外になかったから、それで足りていたんだけど。昨年の夏、友人が使わなくなった大きなすり鉢をくれた。わたしの家には山芋を擂れるようなすり鉢はなかろうと、すり鉢と山芋をもってご飯をつくりに来てくれたのだ。

──ご正解!

 今となっては二つ巴となってしまったキッチンパートナーに、実はもうひとつ、わたしを長いこと支えているパートナーがある。キッチンだけでなく、生活あらゆるところでパートナーとなってほぼ三〇年。その歴史の始まりは、あまり大きな声で言いふらせるものではないけれど、もう、時効にしてやって下さい。

 学生時代、デッサン室から無断でいただいてきてしまった小さなイス。風呂場のイスサイズのもので、見た目も風呂場のイス。木製なんだけど、その昔、赤いペンキで塗ってしまって、今となっては塗らなきゃよかったと後悔している。
 約30年の間の10回の家替え、わたしの留守中も、実家で捨てられることもなくありつづけていて、それは今、踏み台と呼び名が代えられてわたしの人生に欠かせないものとなった。これがなくては洗濯物も掛けられないし、棚の上の洗剤も取れないし、皿もしまえない。冷蔵庫の上段の奥にしまいこんだ食材は、これがなくては冷蔵庫が壊れるまで出てこれないんじゃないかな。

 ちなみに、学生時代の無断でのいただき物、わたしの周辺でのいちばんの人気はトイレットペーパーだった。誰がそれをやり始めたのか、近所の学生専用のアパートで流行った。これも、時効のひとつにして欲しい一品で、新聞屋の集金からいかに逃げ回るかというのも、みんなで企てた。あの頃の、あの周辺のオトナたちにごめんなさい。まだ、あの周辺のオトナの方々、闘っていますか?


 最近、たまの外出で思う。電車の吊り革が遠くなった……気がする。思い過ごしだろうか? 被害妄想だろうか? それとも、わたしが早くも縮みだしたんだろうか? 先日は夕方からの外出だったから、一日の重みが背筋を押し縮めていたんだろうか?
 訳はどうあれ、東京のこの頃の電車の吊り革は、規格外サイズのわたしには遠くって不便この上なし。誰に合わせた高さなんだろう。標準から外れたニンゲンは、存在を無視されるんだ。頼るものがないから両足で踏ん張るも、限界がある。ドアにもたれて乗り降りの邪魔をしながら立つ。そして、周辺のヒトにももたれたりする、わたしは迷惑な塊になる。

──これが、民主主義で資本主義なんだな、と恨めしく吊り革を見上げる。

 で、時々思い出す。
 アフリカ旅行でやり残したことがいくつもあって、そのひとつにザイールのオナトラ乗船がある。タンザニアからザイールに入って、その途中に「歌って踊れるピグミー」がいると聞いた。わたしはぜひ彼らと歌って踊ってみたかった。きっと、あの中に入ったなら、わたしは規格サイズになれる。彼らの中にある規格ってのには何があるのだろう。弓矢かな、たぶん家のサイズも合うだろうし、棚の上に置いたものはすべて爪先を伸ばせば手がとどくんだろうな。

 前回書いたローラースケートは、そういう苦肉の策(?)としてその昔、わたしの生活に参入してきたのだが、トイレでは毎回往生こいた。当時は今と違って安普請のアパートのトイレは和式が常だったから。あの狭い空間での格闘は、わたしにローラースケートのクツを脱がせた。

 で、今はやっぱり、無難に踏み台。時々、用もないのに踏み台の上に立って規格サイズを試してみる。わたしより先に壊れないでくれと、と願う生涯の大事な伴侶のひとつだ。