美しい循環。


 ひょうたんを育てている。
 まだツルが伸びているだけで、ひょうたんの気配は微塵もない。ゴーヤのようでもあるし、キュウリかも、地を這わせればスイカと思われるかも。

 一応、事後承諾ではあったけど、ひょうたん育成の了承を得たつもりだったが、伸びてきたところで「聞いてない」と言われた。
 最近、そういうことが多い。

 ひょうたんがなったなら、乾燥させてランプシェードにしようか。それともアフリカみたいに、碗にでもしつらえようか。ワクワクであります。
 しかし、なればよいのだが……。
 苗を4本買ったが、1本はすぐに枯れた。なにが悪かったのだろう。

 実をならせるのは、意外と難しいのだ。近所の梅の木も柿木も栗の木も蜜柑の木も毎年几帳面に必ずなっているのに、わたしの山椒の実は今年も6粒ほどしかならなかった。わたしの背丈を超えるほどに成長し、枝の広がりだってわたしが両腕を広げたより大きい。なのに、タケノコの時期を過ぎたあたりでもう少し多くの実の気配を感じたのに、収穫時になると、6粒程度しか見つけられなかった。去年は極小の実が5粒ほどだったから、1粒前進したことを喜ぶべきか。
 なにかイケナイことしてるんだろうか? なにもしないのがイケナイと言われている。近所の柿木や梅の木、なにかされている様子はないのだが。

 食べられる実のなる木が好きで、育て愛でるなら花も葉も食べられるモノが好きだ。食べ終えないと、なにかが完結しなくて、ココロが消化不良を起こす。単に、いやしくせこいだけなんだけど。
 種を播き、肥料をやり、水をかけ、愛情を注ぎ、それからわたしの胃袋におさまって満足。なかなか美しい終結ではないか。それで、元気を出して働いてお金を稼いで種を買い……となると輪が繋がり、美しい循環となる。

 ここ数年、ミントの種をまいてもレモンバームに駆逐されて気配ゼロだった。レモンバームもいい匂いがする歴としたハーブなのに、うちでは邪魔な雑草扱い。今年は春先に、レモンバームをばしばし引っこ抜いて、ようやくミントが日の目を見た。そして今度はミントがぐんぐん増えて、先々週の休日にクラマエに引っこ抜かれていた。
 それで、モロッコのアッツァイ(ミントティ)にして飲んだ。
 パセリもぐんぐん育って、食べきれないでいたら花が咲き出し、最近の雨で白く汚れだした。あの白の正体はなんだろう?

 ぐんぐん育つは嬉しいことなのに、食べきれない。大好物のミョウガも育てているのだが、これも出はじめは嬉しや楽しや、もっと芽を出せとくり返しているが、途中で食べるのが追いつかなくなる。みそ汁に入れたり、サラダに入れたり、焼きナスに山盛りの刻みミョウガ状態。で、クラマエに嫌われる。

 実家では、インゲンが父に嫌われて食卓に出しても1本も食べてもらえない……と母が笑ってた。理由は、食事のたびに出していたら……と。母と娘、電話の向こうとこっちでで同じことやってた。血だな。