どーでもよいことだが。


 朽ちかけたシーサーみたいな姿で座る猫が、わたしを窺う週末の夕方。
 休日のみに行く店への途中、たまに見かけて気になる野良猫がいる。

 そのあたりに落ちていた不幸を食い物と間違えて食べすぎて、それでゲップにして吐き出そうにも出せなくいて不快だって顔してる。ゲップは出口を探して背中にまわり、ぱさついた毛の先から忍ぶように漏れ出している。門扉とか塀とか、いつも高いところに姿を置き、気配だけで前を通る人を見る。顔も目も、耳さえも動かさない。小学生の頃、なんども前転後転、開脚をした使いこんだマットみたいな色をしている。

 うちの近辺1キロ四方くらいに路上生活する猫は白地に黒のマントと覆面のバットマン柄の一族がほとんどで、寄れば、必ず逃げる。
 烏除けのネットの中のゴミ袋の中にアタマを埋めている姿は、よそのゴミ置き場で人ごとなので、和み風景だ。こいつは人の気配で一目散に逃げる。その逃げっぷりと慌てように勢いがあっていい。近所のマンションのゴミ置き場の生ゴミ番頭も、夜によく会う。呼べば必ず、ダッシュで逃げる。
 猫会議場、溜まり場もあって、運が良ければ猫パンチをもらえる。

 今日、池袋を歩いていたら、見知らぬ女性に声をかけられた。それで、とても「福顔している……」というようなこと言われた。面倒がくさかったので、「ありがとう」って答えて振り切っちゃったんだが、最後まで話を聞いてくればよかった。ここのネタ話になったのに。二十代の頃は、「食欲がわく顔」だと言わたが、その延長だろうか。
 わたしの父親は、たぶん三十代の頃、別々の場所で別々の人相見に耳たぶを誉められて以来、耳たぶに愛着を持ち大事にし、毎日撫でているらしい。その耳たぶをちょっとだけ引き継いだわたしだが、穴を4つずつ開けて、福耳は台無しだ。

 どういう魂胆があったのかわからないが今回誉められた福顔だが、どのあたりを撫でようか。