そろそろ仕事せねば。


 休み明けまでにお願いします──クライアントはいつもそう言のだ。
 担当者はしゃかりき(?)になって休日やお盆休みとかの前日までに材料を揃え、わたしは仕事をわたされる。

 これはフリーで働く者が背負う十字架なので、デザイナーもライターもイラストレーターも、連休だからっていいことない。ハッピーマンデー(昔はなかった)だって関係ない。締切が、その日一日分延びるのがラッキーなだけだ。

 20代の頃、雑誌のレイアウターをしていた。誌面の割り付け屋です。
 月刊誌やそれらの増刊号、季刊誌を数社かけ持ちでやっていたので、ほぼ毎日が締め切り日だった。雑誌のライターとかイラストレーターはそんなことなかったけれど、レイアウターに与えられる時間は24時間。わたしがかかわった雑誌は、ほとんど全てがそうで、時には夕方わたされて、「朝イチで戻してほしい」って言われることもあった。
 それゆえ仕事は打ち合わせから事務所に戻った夕飯あとから深夜、終わらなければ徹夜でやって、朝になって明るくなってから家に戻って眠る日々だった。
 だから、夜遊びなんてする間なかった(だから今でも、徹夜してまで遊びたくないと思っている)。
 たまに真夜中に共同事務所に遊びにやってきた友人のクルマに乗って、デニーズとかロイヤルホストに食事に行く。それは、とても楽しい時間だった。食事をしたあと、おかわり自由のコーヒーを何杯も頼んで……。
 そういえば、中島みゆきさんの歌にもそういうのがあったな。おかわり自由のコーヒーが薄いってぼやくの。彼女のコーヒーはドーナツ屋のだったけど、わたしたちが飲んだコーヒーも紅茶色していた。夜明けに彼女の吉野屋の牛丼屋の歌を聴いて自虐的になったり。その歌は徹夜明けに聴くにはちょいとヘビーな曲だった。
 一週間のうちでいちばんほっとできたのは土曜の晩で、日曜の朝はいつもより朝寝ができて幸せだった。ぐずぐずしていると日曜日も夕方になってしまって焦る。夜なんか最低な時間帯だった。それで、土曜の夜に蓄えた体力で一気に徹夜で仕事をした。ぺーぺーだったのに、毎日毎日締め切りを抱えられたほど、仕事に関してはバブリーな時代だった、と思う。

 日本にいたなら、二〇代前半から多少の違いあれ、おおかたそういう日々を過ごしてきた。
 なのになんと、今年の正月は実に久しぶりにココロに重荷のない日を過ごせたのだ。それで富士山がよく見える場所をクルマで探していたら、港に着いた。そこから伊豆にフェリーが出ていたので、南伊豆の友人宅に電話して、「明日、行ってもいいかい?」と訊いてみた。

 そうなんだ、《明日もお休みしていい》っていう状況を手に入れた。

 うふふな正月が明け、昨年暮れに終えられなかった事務所の掃除をした。わたしの周囲に行方不明なものは山ほどあるが、気になってしかたないものを探すために掃除と片づけを今年の初仕事にした。1日で終えるつもりが見つからなくって、2日目もダメ、3日目の夜になって見つかった。だけど拍車がかかって4日目も掃除と片づけをした。副産物として、これまた山ほどゴミが出たので、夕方にゴミ出しをした。

 旅行人事務所は、人間で言うところのダイエット途中状態に今、ある。だけど、まだまだなのだ。いちばんの贅肉が、わたしの机の周囲にあるってのが問題で、だけどだけど、そろそろ仕事を開始せねば。

 せねばせねばで、日が暮れる2008年だってば。