センチメンタル・ジャーニー


 寒さに負けて電車に乗っていたら、風邪をひいた。熱が出て咳も出て、寝込んでてしまった。いかんな。こんなことでは。弱いのに慣れていないので、ちょっと戸惑う。

 用事があって、小田急線に乗ったせいだ。大江戸線にも西武池袋線にも乗ったけど、小田急の窓から見た風景に、ココロがキュンとさせられた。意外とセンチだったのに驚いている。

 小田急線のとある駅。そこは旅行人の前身「遊星通信」生誕(!)の町であります。今はもう離れて久しいが、東京の中のわたしの故郷にしている。
 当時、そこは都心に近くありながらもとてもこぢんまりとした静かなところで、調理パンがたくさん並んだパン屋、金物屋、アパートの管理人も兼ねた小さな不動産屋、遅くまでやっていた銭湯、そういう人たちに世話されながら、わたしは20代から30代前半をその周辺で過ごした。
 会社を辞めたのも、ゴミ捨て場で拾った自転車を修理したら15,000円の出費になって、買った方が安かった……と嘆いたのも、1日20時間働いていたのも、そこでだった。初めて手に入れたバイクで、その町の隅を走った。なにしろ曲がれなかったので、そこからまっすぐの道がとぎれるまで走って、またそこに戻るを繰り返した。2500ccのバイクにランクアップして鈴鹿に行ったのも、その地からだった。
 魚屋の親父と八百屋の兄ちゃんに料理を教わって、自炊をはじめた。5つのアパートに住み、いちどは近所の畳屋でリヤカー(1日3,000円)を借りて引っ越しをした。

 車窓から見たわたしのはじまりの地が、今、壊されつつある。正しくは開発なんだろうけど、わたしには故郷の破壊になる。さようなら……と何度も小田急線に乗っていたら、風邪をひいてしまったのだ。

 昨年の暮れ、その駅周辺を少しだけ歩いた。懐かしい「いさみや」の看板はあるのに、店はなかった。近所で訊ねたら、もうずっと前に店は閉じたようだ。なぜか看板だけが残っていた。15年前になるが、いさみやで買ったテレビが、かなり老体だけど一応元気でうちにいる。元気でいてくれる間は、小田急線に乗らなくってもあそことわたしのこここが繋がっていられる、気がした。