トイレで思い悩む。

 うちのトイレットペーパー・ホルダーは、デザインと使い勝手で選んで、紙の取り替えが面倒がくさい……と思っていたら、前のでもそう感じていたことを思い出した。

 以前使っていたのは安いだけが取り柄の身も蓋もないほどにカッコが悪かった。そして6年間がまんして、昨年の夏に買い換えた。海外に出たときなど、ちょっと気にして探していたが、あっという間に6年が経ってしまったのだ。
 今回のは「コレだっ!」で選んだモノじゃないけれど、値段とデザインで折り合いがついて購入した。
 が、しばらくして気づいた。自分の性格との折り合い悪いのだ。

 血液B型の性格というのがあるらしい。
 タマキング氏の宮田珠己さんがB型で、「トイレの中にトイレットペーパーの芯を転がしっぱなしにする」性格なんだそうだ。「ゴミ箱にちょっと捨てるだけなのに、それができない。それのなにが悪い……」のようなことを「WEB本の雑誌」の「宮田珠己のスットコランド日記」で書いている。わたしは彼のようにB型じゃない。でも、トイレに入ってトイレットペーパーの最終に遭って、そのたびに思い悩んでいることに気づいた。

 スーパーなどのトイレの壁に「次の人のことを考えて、きれいにお使いください」の貼り紙を見るが、わたしは最終に遭うたびに「次の人のために芯を取り外し、新しいトイレットペーパーに取り替えたほうがいいんだろーなー」とうんざりした気分になって、「面倒がくさいなー、やりたくないなー、だけどなー、そのままにしておくと○○○○だろーなー」と、毎回、渋々取り替え作業をおこなってる。なにも公共のトイレで次の客のために悶々としているんじゃない。うちのトイレで、だ。それで、取り替えるのがイヤで、たまに次の人のためにちょっとだけ残しておくと、その次の人がわたしだってのは、往々にしてある。確率のモンダイだな。
 ふ〜。

 今じゃなくたって必要なとき必要になったらすればいいじゃない。そういう生き方というか、そういうモットーで人生をやってきたというのに、なぜ毎回トイレの中で、次の人のためにトイレットペーパーを取り替えるくらいのことで思い悩むんだろう?

 面倒だ。

 今使っているのトイレットペーパー・ホルダーは芯を貫く中棒のキャップをぐるぐる回して外し、中棒を抜いてトイレットペーパーを取り替える、というもの。回すキャップは親指と人差し指で輪をつくったくらいの大きさで摘みやすいし、5、6回まわすだけでかんたんに外せる。
 なんでこんなにイヤなんだろう。訳が知りたい。
 予備のトイレットペーパーは横の棚に5コも入っている。この棚への補充は面倒がくさいって思ったことなどない。必ず5コ入っている。5コ入ってないと気持ち悪いし、不安でもある。だから今朝だって、補充のために靴箱の上の棚まで取りに行ったのだから、謎だ。湧き上がるこの「いやだな〜」って気持ちの正体なんだが、我がことながら訳がわからない。

 B型じゃないので、さんざんイヤだ〜って気持ちをこねくり回したのち、必ず取り替えてる。だから、律儀な性格なんじゃないかな〜。

 は〜、イヤなモノはまだある。
 髪を洗うのも好きじゃない。イヤだイヤだと心の中で20回くらい呟きつつ、毎回、渋々洗ってる。洗髪機に憧れる。美容院で洗髪マシーンに入ったことがある。ヘルメットみたいなもので、洗った後のさっぱり感がなく、そのくせ音がうるさかった。それは14年くらい前のことなので、最新機は優れものに成長してるかな。でも、そんな不経済なこと、許されないだろうな〜。

 まあ、いいや……という意識もなく、見て見ぬふりされて日々わたしに跨れていくもの。洗って干し、取り入れられたままの洗濯物、空の段ボール箱、空になった風呂のカビ取り洗剤、冬の手袋、むしり取られた草が玄関に積み重ねられている、もう使わないハンガー、読み終えた本(これは時々怒られる)……。

 なぜだろう。たんなものぐさ性格のせいじゃないと自己分析をしているが、まだ未確認物体だ。