分身の術。

 旅行カバンを買った。
 神保町の山屋で買った。「コレは旅行用ではなく、あくまでも登山用です」と、お店のヒトに丁寧に忠告された。「旅行用は……」と言ってわたされたバックパックは、登山用とは段違いの背負いごこちだった。バックパックの形をしていて、上部のパイプが伸びて車輪付きというのもあって、その機能性はかなり魅力的だったけど、重かったので即パス!
 登山用のバックパックで旅行に向かない最大の要因は、カギがかけられないことだ。口の部分を閉める方法が紐を絞るだけなんて、なんと不用心なことよ。それでは鴨がネギしょってやってきたようなものだし、飛んで火にいる夏の虫なんじゃないかなぁ。鳶に油揚げさらわれる……いや、ちょっと違うか。

 世間にはカギをかけたバッグからだってマジシャンのようにモノを盗めるヒトがいる。自慢じゃないが、マッリック級の引田天功張りの盗人がおることをわたしは身をもって知っている。
 だって……わたしはカイロからアテネに飛んだエジプトエアの機内預けのバッグから、買ったばかりのカメラのフラッシュを盗られた。カギをかけてたって盗まれるのに、カギをかけずに機内預けなんて……プルプル、とんでもございません!

 まあ、ようやく登山用で鍵のかかるバックパックを見つけたので購入した。容量40リットルというのが少々難点。46リットルくらいほしいところだが、山屋が言うには、登山用はあくまでも「歩く」を前提にバックパックを作っているので、大きなのはないそうだ。
 ふむふむ、なるほど、ごもっとも。

 今まで使っていたバックパックは旅行用で、空でも少々重い分、生地が厚い。でも、今回のは軽量で生地が薄い。大丈夫だろうか?
 元エメラルドグリーンの旧バックパックは20年間使った。トラックの荷台で人々に踏みつけられたり尻に敷かれても、バスの天井で風雨にさらされ、そこから放り投げられても破れることはなかった。バスでは座席の下、もしくはわたしの足下に押し込められて足置き場となった。ときにゲロにみまわれたり……。
 アルジェリアのタマンラセットだったろうか、ニジェールのアガデスだったかな? ライダーの滝野沢優子さんがパリダカの日本のチームからワッペン(?)をゲットしてきた。それは偶然にも静岡のチームだった。同郷を理由に1枚もらって1991年の正月、バックパックの背に補強布として縫いつけた。以来、ままである。もう、護符に昇進している。

 旅行カバンは、ショルダーバッグにもなる。一応、肩紐がついているが、あんなの肩にかけたら一気に腰を悪くする。イランを旅したとき、星がいくつもついたホテルに泊まろうとして、バックパックでは失礼(!?)な雰囲気のフロントというか、バカにされそうなムードをガラスドアの外で感じて、後ずさりした。
 身は黒のチャドルを着て髪は黒い布で覆って完璧。だけど足下はゴムサンダル。そこで背からおろしたバックパックの背負い紐をしまって肩紐を取り付けて、取り繕った。ともに恥をかいた仲である。

 インドの小さな村で、床と壁をゴキブリが這う宿に泊まった。狭いベッドでバックパックを抱えこんで「川」の字ならぬ、「リ」かな? いや、「の」の字になって身を寄せ合って眠った。いやはや、いつでもどこでも苦楽をともにしたバックパックである。

 バックパックは買い換えたんじゃない。あくまでも買い足した。だから元エメラルドグリーンのバックパックはまだ手元にある。2000年のグァテマラで、買った布をぐいぐい押し込んでいたら、ファスナーが本体から弾けてしまった。黒の木綿糸で繕ったが、業務用のミシンを買ったんだから縫い直せるんだ。
 忘れてた。
 それにしても、「忘れてた」が頻発する人生になってきた。かまわないけど、ちょっと不便だ。


 最初の海外旅行は欧州で、芥子色のスーツケースだった。そのあと、それは安アパートで衣装ケースになっていつの間にか姿を消した。
 次の旅では、でかいカメラケースをバッグにした。中身の保全がマル! と友人が貸してくれたんだが、大きなオトコの彼には何でもないことだったろうけど、超チビのわたしには物理的に荷が重かった。大きさの割に収納量が少なかったので、もうひとつ大きなバッグを反対側の肩にたすきがけにし、胸と背中に大きなバッテンを描いた。
 ふ〜。旅の途中、何度もカメラバッグを売り飛ばしたくなったが、友人のだし……でも放り投げたい……でもでも、を繰り返した。
 それで帰国し、すぐに山屋に行ってバックパックと水筒を買った。バックパックは登山用で、口を紐で絞るタイプ。それを持って、すぐに香港に行った。それも、なんでもお任せツアーの香港。なんだか間が抜けてる。
 みむめもだな。
 捨てた覚えもないが、あれはどこいったんだろう。
 ちなみに、旅帰りのわたしは、まだ今ほど暑くない1980年代の東京を、水筒に飲み物を入れて持ち歩いた。電車の中で、仕事先で飲んだ。仕事先ではコーヒーとかお茶を出されるんだけど、今で言うところのマイ飲み物。その水筒は、まだ手元にある。大きな割に内容量は少ないのが難点なんだよなー。

 1989年の旅から、ほぼすべての海外旅行をエメラルドグリーンのバックパックでしてきた。だから、なによりもわたしの汗をいっぱい吸い込んでいる。背負いにくかったり中で荷が下に下がりがちだったりと、使いやすさがマルってことでもないけれど、わたしが新しいバックパックに馴染むまでもう少しそばに置いておこう。
 最近、思うんだ。わたしを取り巻くモノたちがわたしに馴染んでくるのじゃなくって、わたしがそれぞれのモノに近づいていっている。それぞれに向かうわたしがあって、それはそれぞれバージョンのわたしで、馴染んだモノを捨てるということは、それぞれに向かったわたしを捨てるようで、ちょっと忍びない。

 だから、往生際の悪いわたしは繕いつづけて使いつづける。そのうち家の中のたくさんの「わたし」に押しつぶされる未来を想像している。