オリンピックの年の同級会

 この夏、小学校の同級会があった。
 私立の中学に進学したわたしは、早くに幼なじみと別れさせられたから、小学校の同級会ってのは、幼なじみに会える懐かしさがあって、ちょっと不思議な盛り上がり(たぶんわたしだけなんだろうけど)がある。

「か〜ごめかごめか〜ごのな〜かのと〜り〜わ〜」と歌って、「うしろのしょ〜めん〜だぁ〜れぇ〜!」って振り返ったら、誰もいなかった。そんな感じかな。
 それで、久しぶりに「うしろのしょ〜めん〜」って歌ったら、そこに、みんながいた──そんな嬉しさだ。

 近頃、わたしの周辺では夏のお盆は、同窓会シーズンになった。そういうお年頃なのだろう。前回誘われたのは4年前で、その前に参加したのは1977年、二十歳の時だった。いつからなのか知らないけれど、覚えやすいようにとオリンピックの年に担任を囲んで同級会をやっていたらしい。
 ……らしい──というのは、わたしは行方不明者ということで、初回以降は声がかからなかったのだ。
 それにしても、わたしはあちこちで、しくしく……の扱いをうけてんだな。
 前回は幹事に、「フクイ先生も年とったから、会っておきなよ」て言われたのに、行かなかった。お盆時の帰省ラッシュに二の足踏んだのだ。それから一年後かな?「ヒラノが死んだよ」って電話がはいった。
 とりあえずわたしには、死ぬなんて想像つかない、スポーツ少年のままの彼の像が残された。覚えやすいように「オリンピックの年の同級会」ってことになったようだが、足りないね。「冬季オリンピックの年の同級会」もしたいな。

 海のそばのホテルに集まって、わたしは「千代田城に集まれ!」って言って、『20世紀少年(&少女)』の気分で人差し指を頭上に突上げたら、「千代田城は2年前に壊されたよ」ってみんなから言われた。
「破片を貰ってたやつもいたなぁ」
 なにさ、それ。ベルリンの壁じゃあるまいし。それはともかく、壊されたなんて、わたし知らなかった。
 でもって、「20世紀少年なんて知らない」ってみんなから言いかえされた。えっ? そうなの?

 生徒の父母によって、小学校の校庭の隅にお椀を伏せたような半円形の山をした遊具が造られた。その天辺にはジャングルジムがのっていて、側面にくり貫かれたトンネルが山の中央で交差し、天辺にもそのトンネルが延びていて、表面には足をかけるステップが埋め込まれていたり階段があったり、タイヤがぶら下がっていてそれをつたって頂上まで上れたり、正に父母手作りの大きな遊具だった。わたしたちが5年生の頃に校庭に出現し、それは千代田城と名付けられた。

 わたしの記憶では千代田城の脇に大きな糸車(電線のような大がかりなコードが巻かれていたモノ)の一部分がいくつも埋め込まれ、それを上ったり下りたりするだけの遊具もあった。やはりタイヤが一列に埋め込まれただけの遊具があって、跳び箱にして遊んだ。北校舎の裏の小さな運動場には巨大な楠の根っこが土もろとも転がされてあって、それもよじ登ったり、飛び移って遊んだ。
 うーむ、むかしの遊具は上って下りるのバリエーションだったんだな。

「たしかあのプールも、生徒の父母の寄付で造られたんだよ。うちの姉さんの世代は寄付だけさせられて卒業したから、親は文句言ってたもの」
「だから、少しの間、小学校の生徒以外にも開放していたんだよ」
 ほほ〜、知らなんだ。うちの親も千代田城造りに参加したんだろうか? 寄付をしたんだろうか? 正月に帰ったら、訊いてみよ。
 40年近く経って知る事実。ふ〜ん、そうだったのか。
 それで、オトナになった頭を寄せ合って、
「○○くん、あの時、△△っていったでしょう」
「えー、そんなこと言ったかなぁ」
「えー、すごーい」
「そんなこと、よく覚えてるなー」
「覚えてないな〜」
 そんな話がいくつも出てきて、あの頃を掘り返した、楽しい夜だった。

 6年4組のわたしたちの担任の口癖は「もといっ!」だった。間違えると、まず「もとい」と言ってから言い直す。今回は、残念ながらセンセイの口から「もとい」は出なかった。聞きたかったなぁ。聞きたいのだ、もう一度。先生の口癖を。先生にそれを言わせるには、マスダ君が必要なんだ。今回、来なかったマスダくんは、どこかでセンセイをしているらしい。
 99.9%で、あのマスダくんがここを読んでいる可能性はないんだけれど、気づいたらロンドン・オリンピックの年においでよ。みんな聞きたがっていたよ、フクイ先生の口癖。

「もといっ! な、マスダ」──小学生ながら物知りだったマスダくんに、わたしたちの若い先生は、あれこれ一応確認をとるのが常だった。そういう役割のコが、クラスには必ずいたような気がする。