ヒコーキの不便。

 飛行機は好きでも苦手でもないけれど、機上では「乗らずに移動できるなら、違う方法がいいな」と思う。

 今回のインドからの帰り、トランジット中の香港の空が分厚い雲に覆われていて、アタマもズキズキモヤモヤ曇天で、なんだか不吉な予感がした。空港で熱い汁麵ををすすってみたけど治らなかった(アタマが痛いとき、熱い茶とか味噌汁を飲むとたまに治る)。
 それでも飛び立つころにはスコールもやんで、飛行機は晴天に向かって離陸した。
 で、間もなく……だ。ブルブルブルブルッ、ガクガクガクガクッ、カックンカックンカックンなどのたくさんの衝撃をカラダに感じた。こういうときに「違う方法がいいな」と思うのだ。
「乱気流のせいだ」と自ら脳にメールしてから、「乱気流のせいです」とか「ベルトをおしめください」ってアナウンスを待ったけど、ちっともなかった。「もうまもなく成田です」ってときも、かなりブルブルブルブルッ、ガクガクガクガクッ、カックンカックンカックン状態になって、気が気じゃなかった帰り便だった。
 わたしは痛みには強いが、恐怖にはめっぽう弱いので、このまま錐揉み状態になるんだったら、なるだけ早く気を失わねば、とちょっと焦った。

 でも、何事もなければ、飛行機は便利だ。


 そのヒコーキだが、ここ十数年、乗るたびにアタマが痛くなる。わたしの日常はかなり行動範囲が狭く、もちろんヒコーキは海外旅行に出るときにしか乗る機会はない。日本を飛び立って目的地に着陸後、早ければイミグレにたどり着く前に痛くなる。遅くともホテルのフロントあたりで必ず頭痛だ。
 さっき久しぶりに明るいところで見た鏡のわたしの眉間に、なんとタテ筋の跡を2本も見つけたのだ。誰が付けたんだ? 頭痛にしかめっ面で耐えたせいか? 次の誕生日が迫ってるんで、ひとあし早くやってきたのだろーか?

 空港までを久しぶりに重いリュックを背負って歩いたので、自覚はなくとも肩がこったに違いない。オンナの常で、肩がこるとアタマが痛くなるようだ。
 だから到着後、3日間くらいは頭痛薬が何粒も必要で、それが今回は5日間も飲みつづけた。飲めば鎮まる頭痛なので楽ではあけれど。それにしても、家からバス停までの25分ほどをリュック背負って歩いただけなのに、前回よりも長引いた。やっぱり、誕生日が近づいているせいだろか? それとも、これがエコノミー症候群というやつなのだろうか?
 だけどこの旅のはじまりの頭痛をクリアすれば、あとはどんなに重いリュックをどんなに長時間背負っても、腰が痛くなることはあってもアタマは痛くならない適応性があるってのが、わたしの救いだ。なのに今回は、帰りのヒコーキでも痛くなった。もしかしたら、肩がこっての頭痛じゃなかったのかな?

 上昇して気圧が下がり、その分血管が膨張し、その変化がアタマの痛みとなって、何をわたしに訴えようってんだろう? わからない。そういえば、帰り便ではそれほどでもなかったが、往き便では、アタマが痛かった5日の間、手足がむくんでいた。関係があるのだろうか?


 わたしには頭痛と一緒に、ヒコーキに乗るともうひとつやっかいな症状がでる。それは往きでも帰りでも、ヒコーキが着陸態勢にはいると(正確に言うと、高度が下がりはじめると)、便意をもよおす。「シートベルトをおしめください」のランプとアナウンスの後だ。
「どこに着陸しようって気だ」「はやまるんじゃないっ!」と冷や汗が出る。以前グジャラートからの帰り便が、人生いちばんの危機だった。水下痢をクスリで止めたら、5日間ほど便秘した。その5日目がよりによって日本着陸直前で、成田空港内のトイレなんてとうてい待ってられない。ヒコーキのドア開きだって待てない。ランディング中だって意識というか正気が錐もみ状態になっていくなか、幸いなことに、わたしの後ろにスチュワーデスさんが座っていた。
 わたしはふり返って、叫んだ。「シーリアスっ!」

 彼女はわたしの形相に事態の凶悪性を理解し、「機長にロック解錠を頼みますっ!」と応えてくれた。トイレにいちばん近い席だったこともラッキーだった。
 粗相を免れた幸福に浸り、しばらくはトイレから出ることができなかった。ヒコーキの着陸とともに、体内の「大」までもが毎回着陸態勢にはいろーとするこの体質、どーにかならんだろうか?