ナニガカナシューテ

 仕事を終えて住宅街をくねくね歩いていると、甘い香りがたまっているところがあちこちにあって、突然にでくわす。沈丁花の季節はもうとっくに終わったし、クチナシの花だってまだのはずで、金木犀ときたらもっとまだまだ先だ。

 オマエハダレダ

 夜なので、その匂いの出所がわからない。夜道に残る妖しい匂い。記憶の中にあるむかしの白粉のような匂いの正体は? 蜜柑の花だった。
 去年も同じことを思ったような気がして、その正体を蜜柑と突き止めたような気がする。これも毎年のルーチンワークってやつかしら? 単なる忘れごとが増えただけなのかな?
 まあ、いーや。
 二軒隣りの庭の「鳥も食わない酸っぱい蜜柑」の木にも白い花が咲いていて、その横の甘い蜜柑のなる木と同じように、その下に甘い匂いが溜まっている。味はどうあれ、匂いはほぼ同じ。



 わたしが女子高生だったときの制服はセーラー服で、スカートは「より長く」がカッコよくって、プリーツの数も重要ポイントだった。数は忘れたけれど、高校生になるとスカートのひだを2本増やすことが許されて、それが当時のわれらの美だった。

 だけど、今の女子高生の制服の美は対極にあるがごとく短くって、それはそれでかわいい。わたしにもOKの美だ。でも、時々ちょっとやめときなさい……と助言したくなるコもいるけれど。
 まあ、いーや。
 ちなみに、うちのオソージガカリさんもミニスカートの制服を「カワイイ」派だし、その丈には「大丈夫かな?」って心配しているときもある。
 それならば……と昨年の夏、足首の丈の短い靴下を買って、オソージガカリさんの靴下用の引き出しに入れた。流行りだからというより、はいた見た目が涼しげだし、足首を覆われないことが実際に涼しいんじゃないかと思ったのだ。
 したら「オンナものの靴下が紛れこんでた」と言って、わたしの靴下入れにそれらをねじ込もうとする。

 違うっ! それはオソージガカリさんの靴下だよ。

 したら「ナニガカナシューテ、コンナヒンジャクナ、スンタラズノクツシタヲ、ハカネバナラヌノダ?」と言って、嫌々をする。ミニスカートの女子高生ファッションは受け入れるのに、ストリートボーイのくるぶしあたりまでの靴下はダメなんだそうだ。そもそも、もうとっくに素足にサンダル履き通勤をしているオソージガカリさんに、涼しげは必要ないのでしょう。

 で、その靴下をわたしにはけと言う。でかすぎる。


 今どきのファッションは概ね受け入れられるわたしだが、今どきの電話セールスマンのもの言いは断固ダメだ。昨夜も仕事場にかかってきた電話は若いオトコで、「リョコージンサンにカイテキなカンキョーをゴテーアンシタイ」と言った。

 耳を疑う、とはこういうときに使っていいんだろうか? 夜の会社に電話してきて、なにが「テーアン」だ。するなら日中に「提案」しろ! 夜に電話を取れるのは暇じゃないからで、暇つぶしにだってそのケーハクなもの言いに耳は貸せない。

 ナニガカナシューテ、ワタシノジカンヲ、アンタニワケアタエラレヨウ!


「キンギンプラチナカイトリマース。イッコカラデモカイトリマース」ってのが若いオトコの声でうちの近所で垂れ流されている。電話セールスマンの若いオトコたちのもの言いと同じだ。このもの言いは、今のセールスマンの流行りなんだろうか? その会社はそのもの言いを推奨しているのだろうか? ずっとずっと一日中、これが繰り返されていて、その前を通るたびに腹が立つ。


 したらば、遺言を残さねばならぬ!

 わたしが死んで焼かれて灰になって、そこに金歯が残っても、絶対にあの店にだけは持っていかないでくれ。わたしの金歯はアフリカの子どもたちを驚かせた想い出の詰まった品なのだ。大人たちには見せなかったけれど、無芸大食のわたしは西アフリカのマリでも東のザンジバルのビーチでも、子どもたちから笑いをとるために口を大きく開けて奥歯の金歯を見せた。ちょっともったいぶってすぐに口を閉じたりすると、両腕を掴まれてせがまれて、口を開けさせられた。


 あれからもう18年か。彼らは幼きころに見た金色の歯のことを覚えているだろうか? わたしは見せたことを、喜んでもらえたことを思い出せる。
 だから、キンギンプラチナカイトリマースになんか渡せない。アフリカの子どもたちに送りたいのだが、送料で消えるんだろな。