羨ましいヒト。

 母に電話をすると、「あ〜忙しい、これから通夜がある葬式もある・・・」と、わが実家周辺では正月からというもの、訃報が相次いでいる。
 先週は53歳のご近所さんが突然に逝って、「明日は友引だから通夜を急がねば、あ〜忙しい・・・」と。
 53歳のご近所さんは、数年前に越してきた町内会の人で、その夜、わが妹は遺言状の書き方を問うてきた。

 東京のわれわれのところにも、旅行人が遊星通信だった頃から大変にお世話になった方の訃報が届いた。昨年の後半に、お父様の世話で忙しくしていると噂で聞いた。そして介護していたその方が体調が思わしくないと検査を受けて、二か月後、帰らぬ人となってしまった。
 病に気づいてから二か月ほどの猶予しかなかった。無念だったろうが、それでも、二か月あったのだ。だから、突然ではなかったのだ、と思うことにした。

 サッシーの店ケララバワンでベジ・ミールを食べていた友人が、唐突に「最近、夜明けごろに虚しさに包まれることがある」って言う。
 えっ? なんで? どんな? と訊ねると、「六〇歳になるとわかるよ」と言われた。
「虚しい」じゃなくって、「淋しい」だったかな? これが五十代の記憶力の限界ってもののようだ。

 今朝、弁当を作りながら黄緑色の袋を探した。今どうしてもあれじゃなければという袋ではないが、無いとなると気になる。もらい物だし、単なる不織布でできた軽い袋なんだけど、行方不明と知ると気になって、朝の弁当づくりに身が入らない。
 そういえば、正月に使った。
 失って惜しいほどのモノでも困るモノでもなく、薬局でおまけに貰った袋だ。でも、今朝は気になって気になって、弁当なんてつくってる場合じゃないって気分だ。

 そういう性格だというのに、モノを溜め込んで、その管理能力に問題がおきて日常生活に支障をきたしているんじゃないかって気がしてる。そうだ、いつのまにかモノが許容範囲を超えたんだ。年々狭まっている管理能力に反比例してモノは増えつづけている。
 そういえば、ずーとむかしだが、わたしの机周辺を見た友人が、「エントロピーの拡大・・・」とか言ったが、最近じゃエントロピーが繁殖中だ。

 羨ましい。すごく羨まし。その点、うちのオソージガカリさんはとても楽な性格をしている。無くても平気。無くても堂々としている。ときどき困ってはいるが、何はさておきで探したりはしない。見たところ、あるまで待とうほととぎす・・・だ。

 羨ましくて羨ましくて、いつかわたしもあーいう性格になりたい。