音痴のお経。

 わたしの音痴は父譲りで、音痴の本家のその父が歌うと母は「お父さんの歌は念仏みたいだね」と言って調子っぱずれの父の歌をいつも笑った。
 ちなみにわたしの母の歌唱力は彼女の自慢のひとつで「バスガイドさんに誉められた・・・」と町内会や婦人会などで行ったバスツアーでの評判をたびたび聞かされ、カセットテープに録音した母の歌を聴くという孝行をいく度もさせられた。
 そういえば、最近は母の歌を聴いていない。どうしたんだろう?

 それゆえ我が家では「念仏=音痴な歌」とされていて、念仏に敬意がはらわれないできた。が、今年は年の初めにお経を聴く機会があって、それが六人のお坊さんによるお経の合唱(?)で、わたしは惚れ惚れと聞き惚れてしまったのだ。音痴なせいか音楽用語も音感のセンスもないわたしだが、お経の合唱とでもいうのかなぁ、お経にもハーモニーってのがあるのですね。
 お寺の跡取りお坊さんがもしも音痴の血を引いてしまったなら、とても不幸だ、泣くに泣けぬ不幸だ・・・などと聴きながら要らぬ心配をしてしまった。
 その寺の先代の和尚さんはあまりお経を聴かせてくれることがなく、もっぱらピアノ演奏ばかり聴かせる人だったので、今回の若い和尚さんの張りのあるお経と音感がとても心地良かった。今思えば、先代の和尚さんは音痴だったのかもしれぬ。それとも声がお経むきじゃなかったのかも。それであれこれ理由をつけて、ピアノ演奏の法事だったのだろうか? 今となっては訊けぬのだが。

 小学一年生とき、そのお寺でやっていたオルガン教室に通ったことがある。日曜日の午前中のお教室で、わたしは数回通っただけで外遊びの方に走った。魚釣りやチャンバラごっこ、あれこれ当時は誘惑が多かったのだ。
 あの時、あのままオルガン教室に通っていたなら母寄りの血が騒いだろうか? それで、音痴も努力すれば上手くなるのだろうか? 鈍足のわたしも努力すれば100メートルを10秒切れるようになるのだろうか? 努力したつもりだが身長は伸びなかった。努力してもダメなものがあるはずだ。

 お経が心地良く耳に入ってくるというのは、これも年のせいだろうか? 耳だけで聞いていると呪文のようにしか聞こえぬお経だったが、文字を見ながら歌ってみた。音痴だけど、今回ばかりは歌ってみた。人生に何度かある大恥をかいてみた。