できないこと。

今、忙しいんだ──と告げると、決まって母は「忙しいはね、『ココロを亡くす』って書くんだよ」と、どこかで聞き込んできた正しいお話で得た知識で、わたしを諭す。
 わたしが20代とか30代のときに、たびたび言われた。
 で、それから時がだいぶ経って、最近の母に電話すると「あー忙しい・・・」を連発される。今朝は「父のイトコのコドモが65歳で亡くなった・・・」と、だから今日は忙しいんだそうだ。
 最近の多忙の要因のひとつに、本当に「亡くす」が頻発しているようだ。

 お風呂で湯に浸かるのがカラダにいいんだよ──と言って、ものぐさなわたしがシャワーだけですませてるとでも思ったのか、母はテレビの健康番組で得た知識で娘を諭す。それで、朝風呂に入る娘に「夜にはいる風呂がカラダにいい」とも付け加える。
 はいはい、わかりました。
 で、先月なんだが、実家に行って夜に「風呂は?」と母に言うと「今日はもう疲れたから入らない」という。それならば・・・と、孝行娘が風呂の準備をすると「やっぱり入る」ってことになった。それで朝風呂の支度をすれば「それなら入る」って。
 かなりの面倒くさがり屋になってる。

「カラダにいい」はどーした? と今まで耳にタコができるほど諭されてきた「母の知恵」を重箱に詰めて、食べさせたいものだ。知人にそれを愚痴ると、年を取るとあれこれ面倒になるのよ──と諭された。

 母の忙しいは「今日」じゃなく、「今週」とか「今月」が単位になってる。それらの中に3つのイベントがあると「もーとてつもなく忙しい」になる。1日に2つはダメで、連日もダメだ。
 そんなに人はできなくなるものなのか? と人のこと訝っていたが、土曜日に買った唐辛子の苗を移植できないまま、今日で1週間が経ってしまったではないか、とさっき気づいた。
 土曜日の午前と夕方、日曜の午前を費やして大仕事をやってのけて、オソージガカリさんに「7万円の仕事だ、よくやった!」と誉められたのだが、週明けにはその疲労で気力ゼロ値。買った苗のことすっかり忘れていたら、火曜日の深夜に萎びている姿を発見。100円×2鉢もさることながら、かわいそうなことをした。たっぷりと水を浴びせたら、翌朝には元気になっていた。
 それからは、忘れてはいない。寝る前と出勤前にたっぷりの水をやっている。移植には10分もかからず、5分もあればすむことで、場所も決めてあるのになかなかできないのはどうしてだろう?
「忙しくない」わけではない。「忙しい」だけじゃない何かが、それを邪魔しているのだ。
 その正体は、何なんだ?

 最近、1日のうちでできる量が減った。どれくらい減ったのかは、重量計で測れるモノじゃないので不明だが、てきぱきと仕事をこなすことができないんじゃなく、「嫌になった」とか、水泳で息を止めて泳げる距離じゃなくって、息を止めていられる時間が短くなった・・・そんな感じだ。
 これが、これから始まる「未知の世界」への、今はまだ入口あたりに立ってると思っているんだけど、その現象のひとつなんだろうか?

 うちではカマキリの卵さえも先週から変化がない。生きてるのか?