指先のチカラ

 勝手に慕っている師匠がいる。彼女の指先にはすごいチカラが宿っていて、どんなに頑張っても(というか、このところ頑張る意志が不足気味なんだな)、背伸びをしても手は届かない。
 先日も久しぶりに会って、彼女からバッグを買った。インド・ナガランドの布と北タイの少数民族が蔦で編んだ袋を合体させたもので、壁に掛けてあったそれがわたしの気を引く。手を触れると同時にストンっ、と下に落ちた。フックが高いところにあって、どうにも戻せない。わたしは、それに呼ばれてしまったようだ。
──連れて帰っておくれでないか・・・。

 彼女に会う日は、ちょっとめかしこんで行く。それは練馬区を出るハレの日でもあるのでオシャレをするんでありますが。
 その日、彼女は「ステキね」って言って、わたしのはいていたもんぺ風パンツを触って「いいコットンだわ」と。
 おーブラボーっ! であります。
 彼女の指先に「良」のお墨付きをいただいたそのもんぺ風パンツは1986年の夏、東京・下北沢で買って以来、わたしの自慢のひとつで、大事に大事に着つづけている。たしか、8000円弱ほどだった。
 それを着てイスタンブールを歩いていると、ホテル・モラの近くの路上で日本語を話すオトコに「ソレ、どこで買った?」「トーキョーでいくらだった?」と訊かれ「バカだねー、トルコならそんなのもっとずっとヤスイよ。トーキョーはタカーイ」というようなこと言われた。
 わたしはなぜだか、海外で日本語を話すヤツに、よくばかにされる。訳がわからん。
 だけど、わたしのもんぺに優るパンツは、トルコでは見つけられなかった。「似て非なるモノだ」と言ってやりたかったが、その後、あいつに会うことはなかった。
 ちなみに、その日着ていたブラウスを触って、「ステキな色ね。コットンとレーヨンが15パーセントくらい入っているわね」と。
 それは中国の大理で買った黄緑色の絞り柄。いいコットンじゃなくっても、ちょっと古めかしいデザインとボタンまで共布でくるんであって、自慢のひとつです。

──わたしの指先は、ごまかせないわよ。
 勝手に師匠の彼女がそれを言うと、とてもかっこいいんだ。わたしも、わたしに似合うそんな名台詞が欲しい。
 十数年前、ひょんな偶然で入った店で、彼女はインド周辺の布を売っていた。昨今問わず、そういう人も店も多いのだが、彼女の布はどれもこれもとてもステキだった。気になった布についてあれこれ訊ねると、どこのどういう人たちがどんな時にどう纏うのか、教えてくれた。

──この指先で、48年、いろんな布を触りつづけているわ。だからね、インド人が「カシミヤ100パーセント」って言っても、わたしの指先はだませないの。「ラムが20パーセントくらい入っているわよ」って言い返すと「そうかぁー」って当人たちがときどき腕組みすることがあるわ。
 と言って、ふふふって笑う。彼女は、わたしみたいに、あははって笑わないんだ。ふふふっ、が似合う。
 今の仕事の前はアパレル業界にいて、ウールが専門だったと言っていたが、そのまた前は、出版業界に5年間いたっていうんだけど、人の年は足し算すまい。
 わたしはこの業界に33年目。その間、休憩も多かったけど。それで、わたしはどこにどういう風に彼女のように積み重ねていくのだろう。せめて、腹のまわりだけは避けたい……と思うのであります。