アパレルの不思議なオンナたち

 衣替えのたびに出しているのに、それを買った1984年ごろからまだ2、3回しか着ていない。
 世田谷の下北沢、一番街商店街の一角で手に入れたパッチワークのジャンパースカート。顔は思い出せないが、小柄なオーナーがデザインして着ていたそのスカートが、とてもステキに似合っていた。同じくらい小柄だし、わたしも似合う気がして買ったのに、彼女が着ていたようにはどうしても着こなせなくて、着用回数が増えない。わたしがそれを身につけると、パッチワークの傾き具合に負ける。どうしようもなく負けている。
 それで、それは年齢が足りないのでは・・・と、取り置き保存にして(26年)わたしを熟成させてみたが、最近は、ちょうど良い頃合いを超えてしまったんじゃないかって心配になってきた。
 大丈夫だろうか? 当時のわたしには安物じゃなかった。
 あのとき、彼女は幾つだったのだろう? 20代半ばだったわたしにはおばさまに感じられたが、きっと今のわたしより若かったはずだ。
 彼女は物理的に傾いていた。カラダの歪みとパッチワークの継ぎ接ぎがいい具合に共鳴していたのかな? そうなると、今はまだまっすぐなわたしが上手い具合に歪むまで、あのスカートは似合わないのだろうか? それは哀しい話だ。

 築60年級の木造モルタル2階建ての小さなアパートが建つ敷地の道路沿いに服が吊り下げられていたら、それが目印で、営業日は週3日くらい。うちの近所にあるそのアパートは広い空き地の奥に建っていて、部屋の入口には一年中ビニールのカーテンがひかれている。歩道からそのアパートは遠くて中が窺えない。だから、それに気づいてからも長いこと、足を踏み入れられなかった。なにかのお店のようではあるが、気軽るに訪ねにくい佇まいをしてる。

 だけど・・・ほかの部屋の洗濯物とカーテンでしか現役の住まいとしての気配を感じられない古びたアパートで、明らかに別ものを感じさせるその一角だけが、昼間にも人の息づかいが感じられて「誰かいる」「個人の住まいじゃない」「ちょっとヘン」で「何かやってる」に好奇心に引きずられて訪れてみたら、怪しさの微塵もないブティックだった。
 強いて言えば、そこの主の年齢不詳さ加減だけ。それで、わたしはそこを「魔法使いの家」と呼んでいる。
 いつも黒い服を着ていて、赤い口紅と濃く縁取られた目がが不自然じゃない彼女は、わたしの母よりどのくらい若いんだろう? いや、同じかもしれぬ。

 先日書いた「勝手に師匠」といい、下北沢の歪んだ女性といい、近所の魔法使いといい、アパレルにたずさわるちょっと昔の女性は、ちょっと不思議な生き物だ。