充分を知る、かな。

 もう、うんざりだよ。
 掃除に飽きてしまった。もういい、もうこれで充分だ。うちがキレイであることをだれも期待してないし、うちがキレイだなんてだれが想像しよう。
 望んでいるのはただひとり、オソージガカリさんだけです。
 風呂場で足をごしごし擦っていたら、足の甲に靴ずれの痕を見つけた。己の治癒力で治したつもりが、ここはまだだった。で、これをつくったのはいつだったかな? 今年の夏の痕ならしかたがないが、去年のものだとすると治癒力の衰えがここでも立証されてしまう。黄色の靴とサンダルの鼻緒でつくったという状況を思い出すが、その風景が、去年なのか今年のことなのか、思い出せないのが哀しい年末の事件簿だ。
 オソージガカリさんに「断舎利って流行ってるか?」と訊かれた。新聞の広告に「断舎利」が付いた本を多く見つけて、世間の流行りに気づいたようだ。わたしは知人のブログに「断舎利」が多く登場していたので「きっと世間で流行っているんだな」と推測していた。
 天の邪鬼だから、わたしはまだ断舎利と逆の道を進みつづけようと思っている。それでも先週は、空き瓶と空き缶をかなり捨てたけど、ビニール袋はきれいにたたんでしまった。奥にしまうとその存在を忘れてしまうので、見えるところに・・・。
 それをオソージガカリさんが嫌う。
 コーカサスで買ったマフラーと毛糸の靴下と手袋がしまわれる場所を与えられず、はみだしたまま。季節の物だから使えばよいのだが、とてもステキで使えない。
「ハンドメイド」と言われた手袋を「東京の冬にはちょっと厚すぎる」と断ったのですが、それが手元にある。アルメニアのノラドゥズ村でハチュカリを見学していると、おばあさんたちが手作りの物を持って「スーベニア」と呟きつつやってくる。そして、手の込んだ絵柄が彫られたハチュカリに案内してくれるんだが、その中のひとりに「ニーナのメモリー、これを見てわたしを思い出して」と殺し文句を言われたせいだ。
 弱いんだ、こういうお年寄りに。
↓ お年寄りたちが糸を撚りつつ近寄ってくる。そしてどこまで本当かわからないが、彼女たちの作品はすべてがハンドメイドであることが売りであります。
「お土産づくりに資本投資ができない」って宿の主のセルゲイ氏が言う。彼女がニーナ。