日常

 田中真知さんが福島に向かった。エジプト時代の友人が被災して避難所暮らしをしているので、エジプト仲間の支援を背負い、届けにいったのだ。
 それにしても、余震が多い。数日前の夕刻、乗っていたエレベーターの扉がガタガタ揺れて違和感をやや感じたが「風が強いな」と思っただけで、幸いにも閉じこめられることもパニックに陥ることもなかった。わたしの性格は、時に便利だ。
 同じ血を持つ母も、鍵穴にキーを差し込もうとしてなかなか命中しない。それで「腹が減っているのかな、目眩してるのかな?」と思案していたところに、孫からの電話で地震を知ったそうだ。
 のんきなことと笑っている場合じゃない人たちが、余震に心痛めているというのに。放射能は怖いけれど、日本で呼吸する。オソージガカリさんは香港の友人から「外国に移住しなさい」って言われていたけれど、やっぱり今はここにいる。どんなことが起きたら、ここを離れなければならないのだろう?
 と暗ぶってばかりはいられない。オソージガカリさんはせっせと次の「旅行人」を作ってる。わたしときたら、ここ数日はせっせと草むしりの日々だ。脚立のてっぺんに跨り、電動のこぎりで直径10センチにまで太った木を半分ほどの丈に伐った。脚立の上でぶるぶる震えるのこぎりを制御しきれなくて、途中からは手動のこぎりで地道に伐った。
 陸前高田市では一本だけ生き残った松の木が枯れそうだ・・・と多くの人に心配されているというのに、うちでは無惨に伐られて、オソージガカリさんとお向かいさんだけに「枯れちゃうかも」って心配されている。いろいろだ。
 節電ついでにしている節水で、洗濯に時間がかかる。植物の水やりにも時間がかかる。このふたつだけなのに、ずいぶんと仕事量が増えた気がする甘ちゃんだ。以前、田舎で暮らす友人は、まず山に木を拾いに行くところから生活が始まって、体育会系のカラダをしていた。ダイエットで走ったり歩いたりしなくても、生活には大いにエネルギーがいることを思い出した。
 ちなみに母は、食後の食器をボロ布で拭いてから洗っている。それがあまりに丁寧で「ほら、ぴかぴか!」ってわたしに見せる。それはいいけど、ちゃんと水でも洗い流してほしい。ときどき、食器棚の中に洗ってないような皿を見つけることがあるし、洗ったんだかまだなのか、わたしにはとても判断しにくい。それで、ヨーグルトなどのカラ容器にいろいろなゴミを詰め込んで、ヒモで縛って「ほら、こんなに小さくなった!」と得意満面な顔しているが、どんなに小さくなっても「ゴミにした」量はかわらないのでなないかと思う。
 彼女の生活では、この2項目にもかなり時間を割いている。
↓枯れたと思ったすずらんが花をつけた。