記憶。

 ハーフセンチュリーを越えて、親の世話をしたくなった。
 病弱なわけでもボケてもいないが、まあね、わたしもそういうお年頃になったんでしょう。そういう気持ちは「ある日突然に」または「忍び寄るように」やってくるものだともわかった。
 だから、焦らないで。これを読んでくれているあなたが親御さんであって、しかも遠くに離れて住んでいようが、親を顧みない子どもを親不孝者と嘆かないでやってくださいませ。子どもにも、やがて来るものは来るのだ。
「山歩きは得意だけど、平らなところは苦手だ」と母が言っていたのは、わたしが20代のころだったのかな? いや待て10代だったのかもしれぬ。そんな山育ちの母と一緒に山にみかんを採りにいったとき、そのすばっしっこさに拍手した。だけど今は「みかんを採りに行こう」って、その山に誘っても「みかんは食べないっ!」と突っぱねられる。まあ、お隣りさんの孫がたくさんのみかんをくれて、うちのみかんは知人と鳥が勝手に採っていく。
「味噌は?」「ラッキョウは?」「コンニャクは?」「梅干しはつくらないの?」と訊ねても「面倒だっ」と言われる。母の家庭料理ってのはあまり記憶はないが、彼女は保存食をよくつくっていた。味噌は畑で大豆づくりから自家製だったし、コンニャクも山にイモを採りに行くところからはじまる。わたしの丈夫なカラダは、そういうもので作られている。最近はそういう畑仕事をめっきり減らし、田んぼも友人に貸してそこでできたお米を買っている。日常の少しの野菜しかつくらなくなってしまって、大根なんかは育てては引っこ抜くのに苦労してる。育った大根を家に運ぶのに「重い」と唸って2本が精一杯の姿を見た。
 そうか、こうやって腕のチカラも萎えていくんだな、としみじみしていたら、わたしがほしがった石臼(合計5個の石)を一輪車に乗せて運んできた。
 お見逸れしました。バランス感覚は、まだ健在のようです。
 どうもわたしが希望するものは面倒だが、孫がささやく「おばあちゃんがつくる大根の葉とちりめんじゃこの炒め物って美味しい」には、葉っぱを育てるためにいつまでも大根を抜かないでいる。
 娘の言葉は、年を追うごとにチカラを失せていく。ヤキモチは妬くまい。
 今でも面倒がくさいことの多いわたしなんだが、年をとるとこれがもっと多くなるんだろうか? これから何ができて何ができなくなるんだろう?
 母は同じ話を何度も繰り返す。先月も、先々月も去年も聞いた話を、一日に3度くらい聞かされる。それは話したことを忘れて話しているのだろうか? その話は何度も聞いたよと遮っても、とにかく結末までつづけなければ、終えられないのはなぜなんだろう? 言いたいことをとにかく話す。それは前にも話したってこと忘れてるのだろうか? 遮っても、その日のうちにまた聞かされる。そういう状況下の時のアタマの中というか、ココロの中を覗いてみたい。
 で、わたしは今、母の話す同じストーリーを遮ることなく結末まで何度でもひたすら頷いて聞くことを己に課しているんだが、何千回聞いたら人間性というか、そういうものがあるとしたのなら、昇華の域に達せられるんだろう? と修行中であります。
↓母が「みくびるんじゃないよ」とクルマまで運んでくれた石臼。これに土を盛ってコケを生やしたい計画。