10月がもうすぐ終わる。

 あ〜今日も暖かい。しかし、今日こそは中間に着るシャツを長袖にして、バッグにジャケットをいれて出社だ。帰宅時の寒さに「学ばないアタマだ」なんて、もう言わせない。日中の陽射しに騙されつづけていただけなんだ。
 この季節、日本にいないことがつづいていたので、今は東京の秋をゆっくりと味わっている。と言っても、紅葉とか食とかそういうこととはまったくの無縁で、衣替えしたというのに、半袖を出したりしまったりを繰り返す、余裕の日々です。
 もう食欲の秋を楽しめる年齢でもないし、読書は睡眠薬だし、スーパーに行っても値段を吟味するではなく、お気に入り洋風どら焼きのパッケージの裏のカロリーが気になる始末。
 ちなみに、オソージガカリさんはシュークリームとエクレアが好きなので、安上がりです。
 優雅に片付けの秋をやっていたら、10月の終わりをつかめそうなところまできてしまった。「パッションフルーツの葉っぱは、いつ枯れるのだ?」とオソージガカリさんに訊かれたが、枯れる気配なし。しっかりくっきりの日陰が、それはそれで、今は迷惑です。
 暑すぎもせず、着ぶくれる必要もない久しぶりのこの季節のお洒落に精を出して出社が遅くなってしまうが、これも体勢に影響なし。
 こういうゆったりのんびりの秋を二回ほどつづけたら、きっと飽きるんだろうな。わたしの理想は、季節を二回ほど味わったら、違う場所に越して再び二回ほど・・・というのを繰り返して日本のあちこちに住んでみたいと考えていた四十代前半だった。
 十代は「ここじゃないところで死にたい」なんて思っていた。小心者だから家出なんて考えられなかったので、正々堂々と家を出られる大学受験を選んで、今やコンピュータとインターネットで「どこでもいいよ」って状況になっているんだが、そうなるとそれはそれで、腰が重くなる。
 ないものねだりってことなんでしょう。