食べてもいいのだろうか?
先日、知人宅で蕗とタケノコを炒めたものを食べた。特別な料理ではないけれど、その知人が頼まれ仕事の草刈りをやって、そこに生えていた蕗とタケノコを採って帰って、話をしながらチャチャッと炒めて皿に盛り、お茶のお供にしてくれたのだ。
そのへんの手際よさに、「う〜む」と感動してしまったのでありました。やはり知人に紹介された家では庭を案内され、「あれがタラ、食べられるよ」「ウドもおいしいよ。ギボシも食べられるんだ」と食べられる植物がたくさん生えていて、注文した天ぷらそばにそれらがあって、天晴れな庭でした。
スーパーで売られているコゴミに似たものが、うちにも生えている。
シダの風貌が好きで、友人の別荘から移植した。以来、毎年、同じ場所に顔を見せて枯れるをくり返す。
そのシダは子どもの頃のと印象がちょっと違う。あの頃よりわたしのカラダは断然大きくなったってのに、それでも巨大に感じるほどに育ち、その化け物みたいなシダの幼少期の姿が、野菜売場に並ぶ「コゴミ」に似てる。
んで、もしや……食べられるんでは……と思っているのだが、怖くてまだためしていない。
というのも、「『チベット』の長田さんたら、ニラと間違えて庭の水仙の葉を食べて腹をこわした」という話を伝え聞いているのだ。どのくらいひどかったのかは知らないけれど、以前読んだ『毒』の本では「水仙は毒がある植物」扱いになっていた。ちなみに、「すずらんを活けてあった水を飲んではならぬ。毒がある」とあったが、砂漠を歩いてのどがカラカラにでもなったんじゃなければ、飲まないよな、花瓶の水なんて。とにかく、くわばらくわばら……です。
だから、コゴミに毒があるなしは知らないけれど、自分の腹を使っての、そんな人体実験、恐ろしくてできません。もしかしたら、コゴミもどきかもしれないし。
海外を旅行中、町中の安宿で、たまに山系の人に会う。山系のオトコは経済力はどうなのか知らないけれど、生活力があって頼もしい。
イスタンブールの安宿モラに、山系のオトコが泊まっていた。ドミでみんなと話をしながらも手のなかでジャガイモの皮を剥いてスライスし、足元のガスコンロの上の鍋の中に落としてポテトチップスを作っていた。その一連の作業のどこにも停滞がなく、宿にあった共同キッチンに立たずとも、よしっ! てのは、やはり天晴れだった。
ナイロビに停滞していたとき、サカさんというやはり山系の人がいた。無口な人だったけれど、いつのまにか荷物を持ってくれるような人だった。
安宿のイクバル・ホテルからサグレットというキッチン&家具付きアパートに引っ越すことを知ったサカさんは、われわれのほとんどの荷物を担いでくれ、しかも歩いて運んでくれた。荷物を運び終えると、買ってあった肉や野菜であれこれメニューを考え料理をしてくれた。なのに、サカさんはベジタリアンで、料理はしたけど、ちょっとの野菜料理で「ごちそうさま」だった。今はどこの山に登っているのだろう。
そういえば河野兵市さんも、そういうオトコだったな。今年も、彼の命日がわたしにやってきて、無事に越せた。