煮干しと猫とわたしと。

 小腹がすいたら食べましょう、とバッグの中に煮干しを常備している。外反母趾気味のわたしの右足のためにカルシウム補給を心がけているのだ。おかげさまで、痛みが少し薄らいだ。
 そういうお年頃なのだ。
 それに、愛想のいい猫がいたなら、煮干しをご馳走できて、猫にもわたしにも一挙両得ってなもんだ。そう思って持ち歩きだした数日後、早速チャンス到来。ブロック塀の上からわたしを見つづける猫が、後ずさりするも飛び逃げることもなくいたので、この機を逃さじと、鼻先に煮干しを差し出した。

 しかし、だ。今どきの猫は煮干しを知らないのだろうか? 食べたことないのだろうか? 食い物と気づかないみたいだ。くんくんニオイを嗅ぐも、ちょっと舐めてはみるものの、口の中にまで入れない。用心深いのか? 疑り深いのか? なんてヤツだ!

 あーいつまでもくわえてくれないんで、帰ることにした。
 たかが猫に、なんでこんなにも下手に出なくっちゃならないんだ。
 ずっと昔、これよりももっとわたしを下手に出させた猫がいた。イトヒロの猫だ。その名はトリノーといい、名の由来は「そいつの知能は鳥の脳みそていどだ……」って聞いていたけど、本当のところは知らない。

 こいつがとてもやっかいなヤツで、イトヒロにしかその姿を見せず、周囲の者には気配しか感じさせない猫だった。イトヒロが家を留守にするんで、その鳥の脳みそ程度のわがままトリノーを10日ほど預かった。26〜7年くらい前のことだ。
 トリノーのエサは「なまり」だってイトヒロは言うんだ。それで、「柔らかいヤツね」と言い置いて彼は旅行にいった。
 しかし、だ。トリノーはイトヒロのニオイの付いてないなまりを一向に食べない。デブってたから餓死することもないだろうと思ったが、食べないのは心配だ。
 それなら……と、マグロの刺身をやるも食べない。ちなみに刺身もなまりも下北沢の駅のそばの魚屋で買っていて、結構なお値段だったぞ。
 皿の水は蒸発したのか飲んだのか、ひからびた刺身となまりと牛乳を捨てる日がつづいてトリノーを返した。返すために、家の中からトリノーを捕まえるのも大騒ぎだった。クルマの中では暴れるし。絵に描いたように、わたしの手も足も顔も、トリノーにひっかかれたキズがたくさんできた。

 しかし、だ。今、バッグを開けたら煮干しのニオイがしたが、いかがなものか?