センス
トマトの苗3鉢を200円で買った。たぶん農家で余った苗なんだと思う。雑草みたいにはびこったミントとレモンバームを少し引っこ抜いて、それらを植えたのは5月半ば。最初に水やりはしたが、「スパルタ農法」を実践すべく、そのまま世話をすることなく植えたことさえほぼ忘れていた。
ちなみにスパルタ農法とは十数年前にテレビで見たのだが、石ころだらけの土壌にトマトの苗を植え、必要以上の水が注がれないように(雨のことです)ビニールハウスの中で育てていた。わたしのつたない記憶では、トマトは土壌からの栄養不足を補うべく、食虫植物のように茎をべとつかせて虫を捕獲して栄養を摂るようになっていった。トマトへの水も栄養もぎりぎりの量に抑えることによって、果物のように甘いトマトを育て、テレビの番組ではそれをスパルタ農法と呼んでいたのだ。
6月中旬はじまりごろには苗が3〜40センチに育ち、プチな実が5、6コなって、初ものに後ろ髪引かれつつわたしはオーストラリアに旅立った。
う〜む、今はまだ緑のトマトだが、この分だと留守中にそれらは赤く熟し、帰る頃には地に落ち肥やしとなっているのだろう。残念無念。
──と思いきや、帰国するとわたしの丈を優に超えて育った苗にはたくさんのプチな実がなっていて、それらは赤じゃなくってみんな黄色だった。
ずっと前、畑を借りてトマトを育てた時には、手間+種と肥料と畑の借り賃に見合う収穫(なんておこがましいほど)は得られず、ましてや、それらからわが手間を引いても見合わなかったのに。
よくわからない。
隣りに植えたネギ(食べ残しの根っこ)は、いつのまにか消息不明となった。土に同化してトマトの肥やしとなったのかも。
お天道様がぎらぎら照った後は一気に花が増え、実も付く。植物は正直者だ。しかし、なぜわたしのトマトは甘くないんだろーか?
「下手なんじゃない」とオソージガカリさんに言われている。
そーかも。
いや、甘いことを期待しているから、美味しく感じないのかも。黄色のわがトマトは、酸味がある。こーいう味のトマトなのだろうか? 謎だ。
鉞かついだ金太郎さんでその名を知られる足柄山の方でかなり手の込んだ養鶏をしている人がいて、これもまた数年前、会う機会があった。彼は野菜づくりにチャレンジしたが、自分には「野菜づくりのセンスがない」ことがわかったのでやめた、と言っていた。
ふむふむそれは、どーいうことだ?
──いつどれくらい種を蒔けばいいのか、いつどれくらい水やりをしたらいいのか、いつれくらい雑草を抜いたらいいのか、いつどれくらい? いつどれくらい? とそういうことのすべてにタイミングや量があってそれをわかるというセンスが野菜づくりに大事なんだそうだ。
で、彼は子どもの頃から好きだった鶏に目覚め、養鶏をしている。養鶏のセンスはかなりあったようだ。で、野菜づくりのセンスを持ったヒトの野菜と物々交換してるって。というのも、エサ代を計算すると、卵一個に百数十円かかっているそうで、わかってもらえる人にしか買ってもらえないようなこと言ってた。
そういえば、数日前に見たテレビで長谷川穗積も言ってた。「パンチは早いだけじゃダメだ、オレのパンチにはセンスがある」と。何ごとにも「センス」が決め手なようですね。
世田谷のとある自称有機栽培の路上販売所の野菜、はっきり言って美味しくない。トマトと冬瓜がハズレで、キュウリはフツーで、5戦4敗してわれに返り、買うのをやめた。
今朝、カボチャを煮て火を止めて約20分後、鍋をひっくり返してわたしの腕にカボチャが降ってきた。熱々のカボチャと汁じゃなかったのは幸いだったけど、かろうじて命拾いしたカボチャをちょっと味見した。
ダブルでショック。そのカボチャは美味しくなく、風呂に入ったら腕がひりひり痛んだ。たいしたことないと思って油断していたんだけど。一応火傷しているようだ。
ふ〜。
このカボチャ、無農薬とも有機栽培とも謳ってなかったけど、しくしくだ。「無農薬&有機栽培」を謳ってあっても、美味しくなきゃ、いやだ。このカボチャは、やはり世田谷のとある家の前で売られていたもので、実はもう一個ある。同じ味だろうか? いかにして食わん。