皮むき。

 日曜日に友人がやってきて、ピザを焼いた。

 その半月ほど前の休日にも突如ピザが食べたくなって食べたばかりだというのに、まただ。そのときは運良くなのか、買い物帰りに近所の郵便受けに宅配ピザのチラシを差し込んでいるのを見かけて1枚いただいた。ピザのチラシを見て食べたくなったのか? どちらが先だったのかは定かではないが、まんまとエサに引っかかった。
 で、帰宅してチラシの店に電話して宅配ピザを頼んだ。美味しかったけど、結構なお値段の夕飯になってしまった。
 買ったばかりの夕飯の食材は、繰り越し登板となった。

 平日の夕飯はいつも弁当だ。それでメニューは弁当箱におさまりやすいモノで、わりと生真面目なメニューになる。尾頭付きの焼き魚は鰯サイズが精一杯。そんなせいで(?)、週末は弁当箱におさまらないものが食べたくなり、この夏は和洋とりまぜて麺類の出番が多かった。今も多いけど。それと、真面目じゃないものが食べたくなる。言うなれば、「遊び心を持った食事」かな? イタリア人にとってピザはどんな位置にあるのか知らないが、やはり「ご飯」なのかな? まあそんなこといいや。
 それで粉を練って生地を作り、トマトソースも作って(これは友人のお仕事)焼いた。焼き上がりがイマイチだったけど、それらしいものはできた。ほんとうはオソージガカリさんの窯で焼きたかったんだが、拒否された。あの窯なら5分もかからずに焼けて、生地がコリコリパリパリで旨いのに、残念だった。

 前置きが長くなってしまったが、やってきた友人がリンゴの皮をむいた。まず四つに切り分けてから、ひとつずつ皮をむき、芯を取り除いてた。

 ふ〜ん、そーなんだ。わたしは丸ごとむいてから切り分ける。

 もうひとりの友人が「ふ〜ん」と頷いているわたしのヨコで「人が集まれば集まった人数分だけのむき方がある」って言う。
 ふ〜ん、そーなんだ。
 リンゴを四つに切り分けた友人が、こうしてから皮をむくと裸にしたリンゴを直接まな板に置かないですむからいいんだよ、と言う。
 それはそうだな。

 翌朝、リンゴの皮むきをする。わたしはやはりいつも通りに皮をむいてから切り分けた。ずーとこーやってきたから、これが居心地が良い。梨もリンゴも逆さにしておしりの方からむく。やはりこれが座り心地良い感じ。

 でも、理屈は友人が花丸だ。

 ちなみに、オソージガカリさんが最近あみだしたリンゴの皮むき方法は斬新で、ピーラーでシャッーシャッーとやる。皮むきが嫌いでリンゴなど丸ごとかじっているので、最近の果物はそんなことしない方がよいとの忠告に渋々従っていたが、ピーラーを得て悦に入ってる。
 先日そのテクを拝見したが、オソージガカリさんがむいたとは思えないほどにとても美しい仕上がりのリンゴになってた。

 美しい仕上がりなんだが、なんだか納得しかねるシャッーシャッーだ。
 もうひとつ気になる皮むきがある。ミカンだ。皮むき方法に茶々いれるのはなんだが、オソージガカリさんはミカンを割ることなくそのまま細かくむく。わたしは子どもの頃、そのむき方を「サルむき」と言われて育ったので、他人事ながら座り心地が悪い。ミカンはやはりヘタの部分を軸にして割ってから、中身を取り出してほしい。それで出たゴミを中央にまとめて包んでオシマイにしてほしい、と思ってる。些細なことなんだが、そうじゃないのを見ると、掛け慣れた肩じゃない方にショルダーバッグを掛けたように居心地が悪いのだ。