スズランが咲いて、

 ご近所さんの無人販売で買ったスズランが無事に冬を越し、ようやくひとつだけ花を持った。めでたいめでたい。

 スズランで思い出す。まだ寒さの残る5月のロシアで、小さな花束を持って街路に立つ老人をいく人も見た。モスクワの地下鉄入口でスズランの小さな花束を持ったおばあさんたちの姿を見て、以前のロシアを知っているわけでもないのに、ロシアって嫌な国になったものだと思ったものだ。駅に入っていく人出て行く人に向かって花を差し出す老人。都会の駅に出入りする人たちは、みんな忙しいのだ。握りしめられたスズランの花がスカをくってなんども宙を舞う。

 ご近所さんのたくさんある畑のひとつに、大好きな老夫婦がいる。ほぼ毎週末、わたしは遅い朝食をとったあと彼らの畑に行って、野菜を買うのを楽しんでいる。雨の日以外ほぼ毎日、お箸のように必ずふたりセットで畑仕事をしている。
 85歳の几帳面なお父さん(と、わたしは呼んでいる)は「ばあさんが死んだら後を追うさ、ひとりじゃつまんないよ」って言っていて、82歳の大雑把なお母さんも「死ぬときは同時がいいなぁ」って言うので、「交通事故にでも遭わないと、同時に死ねないよ」ってわたしが助言する。するとお父さんが「クルマの事故はダメだ。最近は保険に入ってないクルマが多いから、ヒコーキ事故だな」と笑う。

 先週末は、そのお母さんがなかなか畑にやってこない。すると、ひと足先に来ていたお父さんが「やんなっちゃうよ・・・」って呟く。
 以前からお金を払わずに野菜を持っていってしまう人がいて、最近はそう人が増えてそのことにため息ついていて、あげくにはお金入れからお金を抜き取られることにもため息ついていたんだが、昨日はお金入れの中身が1円玉と5円玉ばかりだったそうだ。
「働くの、やんなっちゃったよー」って言いながら、ようやくお母さんが自転車でやってきた。山盛りの野菜が売れていたけど、昨日の売り上げは20円足らずだったそうだ。
「給料日前だからかねぇ・・・」

 うちの周囲には野菜の販売所がたくさんあって、おかげさまでたいていのものがひと束100円で売られていて家計は大いに助かっております。テレビで「野菜の値段が高騰している・・・」って何度も流れるけれど、季節の野菜なら、たまに束の大きさに多少の増減があるけれど、100円であることにほぼ変化のない恵まれた生活環境にいる。だけど、あちこちの販売所で哀しい話を聞かされる。それでロッカー仕立ての野菜の販売機になったところもある。
「野菜をひと束だけ持って、他の客が来るまでいつまでも販売所を立ち去らない人がいて、誰かが来ると他の野菜をいくつも手に持って去ってく・・・」「クルに乗ってるんだから、貧乏人じゃないよねぇ・・・」「カラダの大きな男の子が、お金入れを逆さにして振るうんだ・・・怖くて注意できない」という話をときどき愚痴る。
 あー世も末だなぁ・・・。そんな話を聞かされていると、スズランの花束を握りしめた手が宙をさまよう風景が思い出される。
 日本も世知辛い国になったものだ。

 母の近辺では今も葬式がつづく。で、先週の事件は、ご近所さん(老人)が床屋から戻って庭に自転車をとめた。家に入ろうと歩き出したところで、とあるものを踏んで滑って仰向けにひっくり返り、アタマを打って即死。
 ふ〜な話なんだが、犬の糞に滑ったんだそうだ。しかし、家に犬は飼われていない。いまどき野良犬なんていないんだから、たぶん犬を散歩させていた人が、よそんちの庭まではいって犬が糞をしても片づけずに行っちゃったのでしょう。自分ちの庭で、なんと不運な事件ではないか? というより、これは「過失致死」とかいう事件にはならないのかなぁ?
 心当たりのある人、手を挙げなさいっ! って気分だわ、まったく。